日本サッカーは”エリート”のためにある。
はじめに
このタイトルで書こうと思ったのは、俗に言うエリートを蔑むためでも、構造を批判するためでもありません。
事前に言いたいのは、この構造はごく全うであり、変わることのないものであるということ。
かと言ってエリート”だけ”が作っていく世界に、成長も魅力もないと僕は思います。
そして単に僕は、このnoteで、エリートとは言えないマジョリティに可能性を説きたいのです。
どうしようもなくサッカーが好きで、諦めきれない人たちへ
エリートとは
タイトルからエリートという言葉が度々でていますが、今後も出るので、私がいうエリートについて共有しておきたいと思います。
皆さんにとってのサッカー界におけるエリートとはどういったものでしょうか。
私がここで定義しているエリートとは、”選択権のある人”である。
選択権のある人とはどういうことか。
例えばサッカー選手になりたいと考えた時
サッカー選手になるためには、プロになるまで辞めないことですが、辞めないためには、”努力”の他に「人」「金」「環境」が必要です。
これは目を瞑りがちですが事実で、サッカー選手になれる人は3つが揃う、あるいは足りないものを何かが補う形で、有しています。
人とは、人脈だったり、指導者だったり
金とは、金そのままですが、強いクラブに行こうとすればお金はかかりますし、ユースに行こうと思えばお金もかかります。更に、日本の構造の中で主になる高校サッカー選手権に出ようと思えば殆どの場合、私立に行く必要がありますが、もちろん高額かかります。加えてそこでスカウトされなければ私立大学にあるいは、今では留学など。ここにも莫大な金額がかかります。
特待や、スカウトを受ければいいという声も上がることもありますが、中学年代までの間にそれなりのクラブでプレーするか、スカウトを受けることが必要です。つまり、お金か、お金が足りなければ人脈で補う必要があります。
環境とは、指導者だったり、練習できる場所だったり、地理的問題だったりです。生まれながらにサッカーが盛んでなければもちろん環境は整っていません。ここも補うにはお金が必要ですね。
家族ごと移動する、あるいは選手だけが移動するどちらにしても資金が必要になります。
このような3つが努力の他に必要になるのですが、少なくとも18歳になるまではこれらの3つを自ら整えることはできません。
だから”努力”するしかないとなるわけです。
さらに話をすると、それでも諦めきれずサッカーを仕事にするために頑張ろうと思っても、そこには、元サッカー選手や元ユースなど、サッカーで結果を残してきた人たちが参入してくるわけです。
日本サッカーの権力者を見てみてください。
その人達がサッカー界をつくっているわけです。
非エリートの生きる道
さて、これら3つを持ち合わせてないいわゆる非エリートたちにサッカー界に生きる道はないのだろうか。
非エリートたちがサッカーに抱く思いは幻想でしかないのだろうか。
生まれながらにしてルーザーなのだろうか。
私は3歳にサッカーの虜になった。
テレビではイタリアのレジェンドたちに
目の前でボールを蹴る前橋育英高校の選手に魅了された。
それから高校までの15年間サッカーをしていく中でいろいろなことを経験し、家に住めることや、ただ親や家族がいるということだけにすら喜びを感じるようになりました。
結果的に私は自我が芽生えた頃から追いかけ続けたサッカー選手という目標には到達出来ずじまい。
正直私は今でもサッカー選手への憧れと尊敬とそこに届かなかった悔しさは消えてないし、これからも消えることはないと思います。
ただ私は運良く多くのことに気が付きました。
残念ながら現実は非エリートの”ために”できているわけではありません。
サッカーの試合がチームや各国の歴史に関係なく0-0から始まるように、現実では、ハンデなどなく、すべての人が同じ社会というピッチに立たされます。
その構造の中で
私がより良い未来のために訴え続けたいこと。それが、
下からこの構造の逆転を起こすような存在が必要だということです。
なぜサッカーが世界で愛されているのか
そこには幻想ではなく夢があるからです。
構造をつくる大人が選手やこれからサッカーに夢見る少年少女の未来を作ります。
構造にひれ伏したサッカー界に夢はあるだろうか。
なぜ日本では社会的影響力が今ひとつなのか。
それは構造の壁にぶつかった人間が超えていかないからです。
私はそれができると信じています。
それが日本のサッカーを、日本を変えていくと信じています。
そのために私は、選手で構造の壁に一度負けた人たちが、構造をつくる側としてこの幼い頃に魅了された世界に返り咲く新しい風を吹かせたいのです。
社会では不幸や不遇に向き合って越えようとしている人が多くいて、それに諦めてしまう人が多くいる。
思い出してください。
苦しかった時、心が折れそうな時、あなたに勇気を与えてくれた存在が必ずいるはずです。
その人たちは間違いなく壁を超えた、あるいは壁に向かっている人たちではないだろうか。
じゃあ一体誰が世の中のそのような人達を救えるだろうか。
それは諦める理由が無数にあっても、諦めず突き進んでいる人だけです。
あなたが超えれば、あなたがそうだったように救われる人が多くいます。
日本サッカーの未来のために、社会のために、自分のために
あなたが諦めきれないサッカーを諦めないでください。
人が何よりも心動くのは構造の逆転です。
傍からみた不可能を可能にすることです。
選手で結果が出なかった
サッカーを続けていけるお金がなかった
意識の高さを揶揄される環境だった
もどかしさに涙を流した
そんなお前無理だろと鼻で笑われてるような負け犬たちで
周りの想像もサッカー界の構造も超えるような変革を
起こそうじゃないか
人生のジャイアントキリングを起こしませんか。
世界を変えるのはいつだって
結果が出ずとも諦めきれないバカ達だ。
達海猛の名言を添えて。
次のnoteでは、非エリートの勝ち方を出します。
ここまで読んでくださったみなさんには先に。
非エリートの勝ち方①
弱者であることを認識し、自分にやりたいことを選ぶ権利がまだないことを理解する。
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