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勇気のサッカー論

近年、多くの業界でグローバル化が進み、変化が求められている。

もちろん、サッカー業界も例外ではない。

欧州、欧米の文化を容易く知ることができる現代社会では、目まぐるしいスピードで進化が進んでいる。

そう思っていた。

しかし、日本のサッカー業界はある時から足踏みをしている状態が続いている印象が見受けられる。あくまでも個人的見解ではあるが、私の目にはそのように写っている。

多くの人が欧州でサッカーを勉強し、日本に還元しようとしていることがよくわかるのは、Twitterやコミュニティに参加したときだ。

誰もが、サッカー界の発展のために尽力している。

しかし、これはここ数年の話なのだろうか。

もちろん数年で環境や実力が圧倒的に変わらないことは承知している。

ただ、少なくともJFAに限って言えば10数年前から欧州の影響を受けていることはわかっている。

確かに、選手が欧州のリーグで活躍することが増えてきたことを見れば、著しい成長を遂げたと言えるだろう。では、そこから先、日本のサッカーはどのくらい進歩を遂げているだろうか。

欧州の方針やスタイルを取り入れるようになってから数年以上経った現在、どの程度日本は進化していると言えるだろうか。

おそらくこれからも、何人、何十人もの指導者、選手たちが欧州から日本に還元するために持って帰ってくるだろう。

果たして、このまま何人も何人も欧州へ行って、欧州のものを日本に取り入れることが日本を世界一に導くのだろうか。

先ほども言ったように、あくまでもこれは個人的な見解だが、私は今のままでは日本はいつまで経っても世界一にはなれないと確信している。

グローバルで、ネット環境が整った現代社会に生きている私たちは、先進国の情報を誰でも簡単に手に入れることができる。以前は、留学しなければ得られなかった情報が、今では簡単に手に入れることができる。ましてや、留学しても得られない情報まで手に入れることができる時代に今私たちは生きている。

これがいかに恵まれていることか考えたことがあるだろうか。

今、当たり前のように日本が世界一になるための議論ができることが、いかに幸せであるか考えたことがあるだろうか。

日本にJリーグが発足された30年ほど前、日本が世界一になることはおろか、W杯に出ることすら夢のような状態だ。それから20年ほどで日本は、W杯に出ることは当たり前になり、今では世界一を目指すことができる。

これはひとえに、数多くの先人の努力の賜物であることを理解し、感謝する必要がある。

そしてここから先は、私たちの使命だ。

つまり、いつまでも先人の文句を言っている場合ではないということであり、先人が紡いでくれた糸を糸のままで終わらせることがあってはならない。

ということを前提に本題に入りたいと思う。

日本が世界一になれないと確信する理由

ポジショナルプレー、ハーフスペース、偽サイドバック、偽9番、5レーン理論....

これらの言葉は近年多く聞かれるようになり、多くの人が聞き覚えのある言葉だろう。では、これらがなんのために生まれたのか、どのようにして生まれたのか考えたことがある人はどのくらいいるだろうか。

前述した言葉はグアルディオラ監督が率いたチームの中で生まれた、または名前がついたものである。

そして考えて欲しいことがある。

これらの積み重ねがグアルディオラ監督の哲学を生んでいるのか、それともグアルディオラ監督の哲学がこれらを生んでいるのだろうか。

つまり、細かい現象の積み重ねが大きな哲学となっているのか、それとも、大きな哲学のために細かい現象が生まれているのか。

現在、多くの人が留学や、なんらかの形で世界の情報から学んでいることだろう。そしてそれらは多くの人によって発信されている。もちろん海外留学経験者や海外で活躍されている方々も発信されている。それらはとても有益で、私にとっても、日本にとっても大きな意味がある。

ではそれらの情報をよく見てみよう。

それらの情報の多くは、方法論であり、現象について言及したものである。

例えば、ポジショナルな概念が主流になりつつある現在で言えば、相手のFW〇枚でプレスをかけてくる時DFは□枚にする

というもの。

これはチームの哲学か、それとも現象に過ぎないのか。
そもそもなんのためにそうするのか。

これは現象であるということはおそらく誰もがわかるだろう。

では、最初の問いに戻ってみよう。

このような現象が、いくつも重なった結果チームのスタイルができるのか、それとも、チームの哲学のためにこのような現象が生まれるのか。

日本はおそらく無意識のうちに前者であることが多いだろう。その証拠に、指導者として真摯に学んでいる人たちの中で、ボールの所有権を放棄することを厭わないスタイルを志向する人は極めてゼロに近いだろう。

伝わってくることはボール保持志向の現象だからである。

結果的に、現象を組み合わせていった結果ボール保持志向に至っているというのが私の見解だ。

では実際、トレーニングとゲーム内容がコミットしているチームはどの位あるだろう。ボール保持志向であるのにも関わらず、ボールを保持できていないというチームが多いのではないのだろうか。

そして私はここに日本が世界から学び続けているのにも関わらず、ある時から足踏みしている理由があると考えている。

やっと見出しの内容に戻ってくることができて安心していることはさておき、話を進めていきたいと思う。

この時点で多くの人に不快感を与えているかもしれないが、この先さらに不快感を与える恐れがあることは承知していただきたい。また、決して誰かを否定したいわけではないということを理解していただけたら幸いだ。

話を戻そう。

前述した状態は、まさに支柱のない家のようなものだ。

支柱なしに家が造れるだろうか。

たとえ家が作れたとしてもすぐに崩れ落ちるだろう。そして、支柱は土地や人によって大きく異なるだろう。土地によってはコンクリートを使い、人によっては鉄を駆使し、人によっては木を使うはずだ。

また、支柱によってできる形や、特徴など変わるだろう。

どんなに上質な素材、最高の技術を外壁に駆使しても、支柱がなかったり、支柱が不安定だったり支柱と合わなかったりしたら外壁はなんの意味もなさない。

つまり、哲学がなければ、世界トップクラスの戦術、同じ現象を駆使してもそれらは最大の効果を発揮しないだろう。

どんな戦術も、偶然生まれた産物ではない。

何かしらの哲学のもと、それらを体現するために生まれたもの、あるいはそれらに対抗するために生まれたものである。

そして、多くの場合それらは文化や環境に依存する。

だからこそ、サッカーを進歩させることは難しいのだろう。

サッカーについて深く突き止め、追求していくと文化や環境に行き着くのだ。

チームの哲学は試合に勝つためにあり、現象、戦術は哲学のためにある。

哲学は文化や環境によって形成される。

日本のサッカーを世界一に導くには、現象を持ち込むことではなく、哲学から学び現象を生み出せる環境にすることだ。その先に、現象を参考にする、現象から学ぶということができるだろう。

これが私の見解であり、これこそが日本が世界一になるための一つの道である。

日本が世界一になるために

では実際日本が世界一になるにはどうすればいいのだろうか。

サッカーの指導者や他の指導者でも多くの人は、選手に対して”私生活”について言及するだろう。なぜ競技とは関係ないはずの私生活について指摘するのか。それは、私生活が競技に大きな影響を及ぼすことを誰もが知っているからである。

そう、私生活はサッカーに大きな影響を及ぼすのだ。

しかし、改革派の多くは、サッカーでのみ改革を目指そうとしている。

選手には私生活が影響するのに、サッカーそのものが日常の影響を受けないはずがない。日本は、日本のライフスタイルにもっと着目すべきである。サッカーで改革を起こすにはそこから目を背けてはいけないのだ。

欧州では、サッカーが日常的に受け入れられており、プロが日本よりも幅広く存在する。そのため、日本よりもプロクラブの下部組織が存在し、長期的なスパンでチームが構築されている。

それに対して、日本はプロクラブは少なく、サッカーだけで生活できるのはJ2の一部とJ1だけだろう。そして社会人チームなども単体で存在することがほとんどで、部活動などの3年スパンでチームが構築されることがほとんどである。そのため、クラブの哲学を落とし込むことは非常に困難な環境にある。また、収入の不安定さなどの環境、リーグやチームのレベル、面白さなどから日常的に受け入れられていない。おそらくこれはスポーツ業界や夢のような職種は全般言えることだろう。

つまり、欧州諸国のスタイルを日本に取り入れても、支柱のない家状態になってしまうということだ。

でも、考えてみて欲しい。

日本は支柱のない家状態で、W杯はベスト16、FIFAランクは27位(2021/01/10現在)につけている。支柱のない家がここまでの成績を残すことができているのだ。日本には大きな可能性が残されている。

この大きな可能性こそ、我々が求め続けるべきところであり、世界一への第一歩となるだろう。

この大きな”可能性”を、文化や環境を言い訳に今のままであり続けていいのだろうか。

日本には大きな可能性があるのだ。

日本のライフスタイルに着目し、日本の文化にあったサッカー環境を作り、哲学を構築することこそ今の日本に必要なのではないだろうか。

その先に欧州から学んできたことがさらに生きてくるのではないだろうか。

勇気の改革案

文化を変えることは決して簡単なことではない。

しかし、大切なのは変えることの出来ない”原因”ではなく、変えることができる”可能性”に目を向けることだ。

大切なのは”今”勝つことではない。

勝ち続けることだ。

そのためには、”今”勝てない現実を受け入れることだ。

”今”この日本はW杯で優勝することはできない。

支柱無くして家は立たない。哲学なくして、チームは勝たない。

日本はチャンピオンになれる。ヨーロッパや南米、強豪国を超える可能性が残っている。支柱のないモノマネで終わるのはもったいないのではないだろうか。

その場凌ぎの外壁を支え続けるだけでいいのだろうか。

日本サッカーは可能性のために一新する必要がある。そのためには目先の勝利が犠牲になるかもしれない。その勇気を持てるかどうかにかかっている。

一新するためには環境、文化の変化が必要だ。

誰もがその変化に挑む必要がある。

なぜ、日本はサッカーの文化が根付かないのだろうか。

変えることができるのは私たちしかいない。日本人を、日本をよく理解している私たちしかいない。

今勝てないのは過去のせいではない。先代のせいではない。

根を変えることを恐れているのだ。

それぞれの国で学べることは、それぞれの国の築き上げられてきた文化だ。文化を中心に全てが発展していく。勝ち急いでいる間に各国はどんどん進化していく。

今必要なのは支柱だ。文化だ。そのために変わる勇気が必要だ。

答えはどこにも書いてない。攻略本も一切存在しない。

今違うと言われても、結果を出せばそれが答えのように扱われる。数年前、15本以上パスを繋いで点を取ることはできないと言われていた。それが当たり前のようになり、またそれが覆される。だからこそ彼らは、そのチームは、その国は最先端を走ることができるのだ。少なくとも、強豪だからではない。

戦術的な時代に生きる今だからこそ、必要なのは勇気なんだ。

Jリーグを、日本を世界一にするために勇気を持とう。

答えのない不安な世界に生きるからこそ、”自分”の哲学を持とう。

誰かのではなく、自分の。


長い間、岸を見失う勇気がなければ、新しい大陸を発見することはできない

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