作品を世に送り出すということ。

秋に予定していた演劇公演が、色々な事情が重なり中止となった。
情報解禁前だったとはいえ、残念というか、無念である。

私としてはなんとしてもやり抜きたい気持ちでいた。

だが、「現実がそんなに甘くない」と仲間たちが冷静に止めてくれた。

こういうとき、一人で突っ走らずに済むところは、ユニットを組んで演劇公演を模索しているメリットであろう。止めてくれてありがとう。

だが、中止は中止だ。

準備していた台本(初稿)も、世に披露する機会は少なくともしばらくは失われることになった。

ああ、悔しい。

個人的に今回のキャスティングも最高だったので
実に、悔しい。

だが、ここで改めて演劇公演のもろさを感じることができたのは大きかった気もする。

借金をしながら

助成金に頼りながら
の公演というのは、そうせざるを得ない状態にあるのは仕方がない事とは言え、やはり何かが歪んでいる気もする。

少なくとも健全なエンターテイメント活動とは言えない。

だから、とにかくマイナスにだけはならない、自分なりのやり方を見つけなければならない。

そこで私はまず何を大事にしたいのかということを考えた。

答えは明白だった。

それは、作品を世に送り出すということを大事にしたいということに気づいたのである。

書いた、大切な作品を、お客さんの所にきちんと届けること。

発表形式にはこだわりはないわけではないが、映像・ラジオ・演劇……様々な分野で書いてきたからこそ、それに応じた作品作りをすればいいのではないかと思っている。

そこで予算組みを改めてしてみる。色々なジャンルにおける予算組み。


黒字にはできなくとも、少なくとも、赤字ギリギリのラインを探る。

そして……色々中略するが、

これまでの台本の性質からしても、私がオリジナル作を発表するのは、

まず《朗読》という形がよいのではなないかという結論に至った。

しかも配信のみの朗読公演である。

予算組みでも、現実的で、実現可能性はこれが一番高いように思える。


というわけで、今年後半はもしかすると、「朗読の配信のみ公演」を行うことを掲げていくかもしれません。

作品は書いて終わりではない。特に脚本は。お客さんに届けて、はじめて作品として成立する側面がある。

だからこそ、このまま自分の作品を送らにするのではなく、

きちんと一つ一つ作品を世に送り出して、お客さんに届ける、ということをしていきたい。

今後の執筆と制作の糧にしてまいりたいと思います。