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混線する雨滴と脱け出した因果

完全なフテ寝で休日を消費してしまった。

今週は仕事が過去にない連勤だったため、
帰宅してからは酒に溺れる日々が続いた。

とはいえ、喜多見の面白い店にお邪魔したり、
友達とカラオケ→スタジオのコンビネーションをカマしたりと、人とは会っているのだが。

しかしながら、天気が連日の雨である事も影響してか、なかなか気分の上がらない日々だ。

煙草の本数も増え続け、そのせいか禁煙すると頭も回らず、とはいえこれからやっていきたい事はある程度明確にはなってきているという、なんとも分裂的な、整わない脳内が
20210417の今の自分の現状だ。

今日から、以前出した音源、『swimming karma EP』が配信開始された。

https://big-up.style/9TmlvWkkk2

このCDを作った2017年末は、僕にとってはあらゆるプレッシャーで追い詰められていた事を思い出す。

作品を出す勇気が持てず、これを果たして世に出して良いものかとひたすらに迷路に入り続けていた。

その後、色々な事があり、数年が経ち、僕は、この作品を正式に世に出せた。

自分に自信が付いたというよりは、出す以外の選択肢が思い付かなかったというのが本心である。

僕は、自分という人間にはまだピースが全く足りていないと感じている。

しかし、確実に、前よりも前に進んでいる事は確か。

しかし、それはあくまで自己評価。

ここからは、他者評価も関わってくるだろう。
そういう年齢だ。

僕に出来る事は、出来る事を全力でやる事だろう。

だが、その『やるべきこと』がハッキリ見え始めたからこそ、宿題をサボってゲームをするような気持ちで、こうして惰眠を貪ってしまうのかもしれない。

僕は時に敗けながら、時に勝つだろう。

勝率を上げたい。

努力はいつも後効きで効果が出てくる。

きっと怠惰も。

いつも、時間差で行動と成果はズレながら目の前に訪れてくる。

僕は、時間のトリックに騙されずに、目の前に積み上げなければならない。

インスタントな絶望に浸るのではなく、その絶望の暗い水底の上に立ち、そこに船を建造しなければならない。

最近、創作物が全く頭に入って来ない。

自分という人間の過度な想像力を、現実を見つめるために強く絞っている結果が、この状態。

ロマンチストで居るためには、強いリアリストで居なければならない。

弱いロマンチストは生き残れない。
砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない。

想像力を殺さずに現実を切り抜けるためには、どうすればよいのだろう?

この、感覚と認識と脳の構造を歪に改築し続けた最果てにある目の前の現実を、俺はだからこそ人間なのだと言い切って手の中のものを全て地へと蒔いて水をやり続ける営為を、身体を痛め付けずに、いったいどこまでやれるのだろう?

急にリアルに生々しく映りだした街の風景や駅の階段の下で密談するOLやタクシーを送る中年男性達、これまでバカにしてきた価値観、自分の知らないこの街、財布の中身、そして自分自身…

これを受け止めながら、それでも言葉の先で輪郭を描いていくセンス(感覚)を殺さずに、実と虚の両輪を回しながら新宿中央公園で滑ってスケボーに少し慣れていくのはつまり今降ってる雨を飲み干すという事なのだろうか?


雨の日なんて、こんな気持ちだ。

それでもいい。

ずっと雨の世界が無いように。

これも、天気雨だろう。


皆様は、この雨の中で何を考えていらっしゃりますか?

僕は、明日の準備をします。

今日はこんな脳内です。

swimming karma EP、是非聴いて下さい。
それでは、また。

梶本

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