羅列した宣言

文章力が欲しい。
明解かつ色彩豊かで、かつ奥行きのある…自分の思想をしっかりとバックボーンに据えた、そういう文章を書きたい。
だけど言葉はこわい。
何かを否定することが今はこわい。
何かを言い切ることもこわい。
むしろ、自分という人間が言い切れることがどれ程あるのかとも思う。
そういう意味では、虚構を描く事に今は興味がある。
口語が言行、肉体と連動しているのに対し、文語はより『頭』で解釈するものだから、そこの使い分けをしていかなければならない。
そして出来れば心を打ちたい。
こうして記事を書くのも、自分の思考を今ここに焼き付けるため。
独り善がりかもしれないが、それもたまにはいいだろう。


今、自分はあらゆる方策を巡らして、行動に移していく必要がある。
切羽詰まっている訳ではないが、自分で自分のケツを叩かなければ、どこかで喰らう羽目になるのは眼に見えている。
とにかく勉強。あとは実行。
360°、自分の領分総てに対して手を抜かずに向き合いたい。息切れしそうになったら休む。それも大事。
自分の人生は自分しか責任は取れない。
そして、人間である以上、生きているということは自分だけの話では済まない。
だからこうして己を鼓舞しているのかもしれない。
別に豪邸もブランド品も遊ぶ女も要らない。
ただ、まともな暮らしをしたい。
まともじゃない状況で全人類が生きているし、いつの時代もそうだが、空回るかもしれなくても常に備える事しか人間には出来ないし、それすらしないような生き方はもう辞めたつもりだ。
俺は正しい選択がしたい。
この文章を書いた事で、また少しだけ今の自分を知れたし、腕も上がったはず。
何かをすれば、無駄にはならない。
それはよく知った。知らされた。
ならば、やるだけ。
今この瞬間も、文章を書く事で現実を留保しているのかもしれない。
それでも、確かに今俺は文章を書いている。
こうして文語の世界に自我を召喚し、また現実に還ってゆくのだ。
何を文章にするか。何の勉強をするか。
ちゃんと選ばないといけない。

思考の羅列を不特定多の見る場所に晒すこの行為は、つまり『宣言』である。
相手がいる。受け取る人間がいる。
その時点でそれは『発言』なのだ。
脇をしめていきたい。

kajimoto

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?