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ことば 【エッセイ】

一日の終わり、駅の温度が詰め込まれた車内、本にかじりつくサラリーマン、不自由そうな爪のお姉さん。ふと視界を広げると、動いているのは窓の外の景色だけで、列車の形状のゼリーのなかにサラリーマンやらお姉さんやらが浮かんでいる様を想像する。離れられもしないし近づけもしない。私だけがその様を見ている。

なんだかなぁ。

途中下車して本屋に立ち寄る。途端に文化的な何かに包まれる。自分の体内には一ミリも見当たらない美が、いち物体として、手で触れるものとして、目に見えるものとして、ただただそこにある。並んでいる。溢れている。平然と、ある。

しかし目が捉えるのはそこに何かいいものがあるという事実ばかりで、私の視界はするすると表紙の上を滑っていき、ただ眺める。

なんだかなぁ。

また、なんだかなぁ、だ。
なんだかなぁ、を跳ね除けるように歩き出す。店の奥にひっそりと置かれているポストカード。ネズミと思しきなんとも言えない生き物と、深夜の静けさを彷彿とするモノクロのホテルロビー。嫌いでは確実に無いけど、好きなのかは分からない。そんな2枚のポストカードを手に取り、レジへと向かった。

しかし帰宅して改めて見てみてもやっぱり好きなのかは分からなかった。解凍したシュウマイをぼんやりと口に放り込む。何かがあったわけではない。むしろ平和に一日を終えたように思う。窓の外に青空を感じ、軽やかにキーボードを叩き、ちょっと頑張ったり頑張らなかったり、昼に桜の花を拾って戻り、最近自分のケアが上手いんだわなんて脳内で話したりして、明日もバリバリやるぞ〜なんて、定時そこそこでオフィスを出て。

しかし、なんだかなぁ、なのである。人はこういう感情のときにとりあえずテレビをつけるのだろう。生憎うちにテレビは無い。

何がなんだかなぁなのか、シュウマイを口に放り込む。そういえばちょっと耳に違和感が残っている。なにかが耳にひっかかってしまったような気がする。岩にせきどめられた川面の葉のように、何かの流れが、動きが、たまたま、耳に、私の、誰かの、

そして思い出した。誤って肌が触れ合ってしまったかのような、ざわりと来る言葉。自分が見ないようにしている部分の自分が、勝手に拾ってきてしまった言葉。相手の神経の射程が広がったかのうように感じた言葉。拾ってしまった。私のものでは無かったのに。

そう気付いた瞬間、ぶわっと今日一日の記憶に悪意に包まれ、突き抜ける青空も、心地よい風も、新しい始まりを感じさせる春の匂いも、全てが偽善的な虚像と化して、だだっ広い世界の一角に一人居る私、になっていた。いてもいなくても大差の無い、ちっぽけで大きな自我。

その時初めて、2枚のポストカードにぬくもりが宿った。


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