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落ち着かない夜に

毎日耳にする情報。ネット社会でリアルタイムに地球の裏側の情報も映像で見られる世界。いま、地球上すべての人が、不安やもどかしい気持ちに苛まれていることでしょう。そんな、落ち着かない夜を過ごすあなたに…

1、「理解」できると思っていた

人が二人いれば、「違い」が生まれる。人が三人いれば、「強弱」が生まれる。人が四人いれば、「対立」が生まれる。人が五人いれば、「争い」が起きる。

世界は人がたくさんいる以上、これらすべての物事が起こって不思議ではありません。すべての人がの同じ考えということもないですし、すべての人が同意できない、ということもなかったはず…でも、いまはそうではないのかもしれません。

積年いただいた感情や憎悪の気持ちは、やがて、刃となり、力を持つことで、支配が起こる。そんな高まり、集中した大きな力が、世界を変えようとする瞬間が訪れている、といっても過言ではないでしょう。

「話せば分かる」とは、お互いが落ち着いているからこそできること。頭に血が昇っていたり、相互に誤解していたら、そんな「話す」ことさえできない、ということを、普段の生活や日常の人間関係でも知っていたはずなのに、それが大きな民族や宗教、国という枠組みになった途端、特別なものであり、誰かがなんとかしてくれるんじゃないかと思ってしまう。

考えたら、どんな対立や争い、怒りも、「人間」から生まれているのです。だから、きっときっかけや予兆はちゃんとあるはず。それを先送りしてきたツケなのかもしれませんし、そんな鬱屈した気持ちを積年のまま、疎外していた周りにも、原因の一旦はあるのかもしれません。(もちろん、だからといってその報復や応戦としての暴力は決して許されるものではありませんが)

様々な努力や方法を尽くしても、伝わらない、わかってもらえないという現実。そんな絶望的な状況と、日々起こる悲劇的な惨事に、絶望を感じてしまうのが、「いま」なのかもしれません。

2、「孤立」や「分断」に加担していないか

意見が違う、考えが違う、立場が違うはあってよいでしょう。ただ、それが離れ過ぎたり、誰かの生命や尊厳、心も含め、傷つけたり強引に奪うものであることだけは、許されるものではありません。

ただ、そうした「ちがう」という人との距離や関係を、日頃の生活に置き換えてみるとき、無視したり、突き放したり、遮断したり…どんなに相手に問題があったとしても、「接点や対話」を一切突き放してしまうことが、将来起こしてしまうであろう悲劇。それには配慮が薄かったかもしれません。多くの人にとって。

どんなにおかしかったり、あるいは精神的に安定しない相手と「距離を取る」ことはあっても、「遮断する」こととはまた意味が大きく違います。

こうした日々の生活上の「分断」や「対立」の総和が、世界における「違い」からくる「怒り」や「排斥」さらには暴力的解決の総和につながっていると想像すると、もしかしたら、すべての人が少しずつ、「人との関わり」ということを今一度考える必要があるのかもしれません。

3、「あいつ」というレッテル

一人で感じる違和感も、一人、二人と共感したり、同じ境遇の人が集まり始めると、次第にそれは「見方」になり「判断」や「分類」を作り出していきます。そうした「違い」は、物事を捉えるとき、とても楽であることは確かです。クラス分けされていない全校生徒から人を探すより、学年や組があったほうが仕分けと探索がしやすいように、「枠」や「種類」という概念は、何かを行う上で、とても便利なものです。ただ、そこに「感情」が入ることで、多くの失敗をしてきたのもの事実。宗教や民族の対立の歴史を考えれば、もはや説明の必要はないでしょう。

「あいつら」という言葉。

それがもたらす、「あちら側」と「こちら側」という対立。もうその時点から、衝突の火種は始まっているという、謙虚さをもつ必要があるかもしれません。

4、「いま」は「過去」からできている

いまある生活、いまある平和と環境。そして生活の質。すべては生まれたときからしか実感できないものですが、歴史を振り返れば、多くの人類や先祖の汗と涙と血の積み重ねで得られた時間であることは、古きを知るほど、実感せざるを得ないでしょう。

そして、社会の中に存在しているルールや権利、そうしたものも、多くの人の命をかけた争いと獲得の末、得られているもの。そんなことを思うほど、「今が楽しければいい」という思いで、次の世代の人へ、この社会と時代へ数々の問題や課題を先送りすることの無責任さと無力感を感じます。

いまという時間。人生という限られた時間。その中でできることをやる。できなくても出来るところまでやって、次の時代へバトンを渡す。精一杯生きる、ということしかできなくても、その積み重ねがこの世界を作っていることを、改めて考えてみてもいいのかもしれません。


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