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苦しいことも楽しいぞ。

うわー、これはきついなあということ。仕事でも日常でもあるかもしれません。あるいは怒られたり、苦手な人と合わなきゃいけないなど、精神的にきついこともあるかも…それでも、取り組む前に魔法のコトバを心の中でつぶやくだけで、なんとか乗りこなせてしまうものですよ。

1、「言霊の力」はやっぱりすごい

永遠と続く単調な作業。面倒くさい仕事。いつ終わるかわからない量の仕事。もうそういうことを目の前にするとため息さえでないかもしれませんね。それでも1つずつ、一歩ずつ進めなきゃいけないわけですから、立ち止まっている暇はありません。

例えば、お米1粒ずつ数えるなんてことを考えてみても、「もうそんなの一気に重さを測ればいいじゃん!」と思うことは、誰もがやりたくないもの。でも、そうやって「1つずつ」やることで見えてくる世界、品質、安全っていうのもあるのは確か。ネジ1つ欠けて、エンジンでも外れたら、飛行機が墜落してしまうように、「たった一つ」の重さは、全体で見なければ決められないものです。

だから、四の五の言わず、まあ取り組みましょうよ。其のときにね、何度もつぶやくと魔法の力が湧いてくるコトバがあるんですよ。それが、あのアニメの孫悟空のこのフレーズ

「おら、ワクワクすっぞ!」

っていうやつ。試しに、困難なことや辛そうなこと、大変そうなことに向き合う時、心の中でつぶやいてみてください。あれ、おかしいですね…なんだかにやけて来ましたよ。

もう笑うしかない。やるしかない、って思えると、人間以外にも力が湧いてくるようです。アホらしいと思わず、一回やってみてください。

雪が降り続いているのに、終わりの見えない除雪をするあなた

たくさん収穫した野菜を1つずつ袋詰しなければならないあなた

これから1,000個の貝を剥かねばならないあなた

セルの数字をコピーアンドペーストで300行近くやらなきゃいけないあなた

餃子の皮包をこれから夕食に向けて100個つくらなきゃいけないあなた

いろんな大変なことがあるでしょうが、そんなときこそ、つぶやくのです。コトバのちからを実感してみるのです。

2、不運には悪いコトバがつきまとう

不運に見舞われるときがあります。不遇が続くときもあるでしょう。でも冷静になってみてください。そんな状況を作ったことに、自分自身の責任や態度、行いが影響していることは1ミリもありませんか?

例えば人間関係。普段の挨拶から、お礼、フォローに至るまでこちらから人間関係を構築する努力や、被害を最小化させるための行動の積み重ねが、いざというときの相手の態度にも変化をもたらします。

相手が無理難題いったから、こちらも応えない、とか。

挨拶したのに返さないから、もうこちらも言わない、とか。

お願いしたことをやってくれないから、無視して行動する、とか。

これ、全部自分自身で、関係を悪化させたり、絶ちにいっているんですよ。つまり、自分が巻いた不運の種です。

会社で言えば、承認を取り付けるには、上司の許可が必要。だったら、苦手だろうと、強面だろうと、無視されようと、関係性をうまく作っていく必要がある。

何かあったとき、誰かの助けを必要とするならば、日頃から他者への気遣い、手助けをしておく。

そうやって、常にこちらから関係性を構築しておくことが、いざというときの力と結果につながっていく。不運なのはその時のような気がしていて、じつはそれ以前から脈々と続いた結果が「今」なのです。

だから、境遇は自分が巻いた種。自分が施した結果。自分が望んだ結果。

話を聞いてくれない、お願いをやってくれないのなら、それは、あなたの言い方、伝え方、考え方、姿勢がそもそも悪いのです。その謙虚さを失い、「相手が悪い」とはどうして言えましょうか。

はじめはなかなかうまく行かなくても、日々続けている行動は、着実に蓄積されていきます。そしてそれは、人間関係となって現れていきます。不運不遇に見舞われてるのならば、反省すべきは他者より自分。そのことを肝に命じておきましょう。

そして、それさえ思いつかない奢りや自信があるのならば、もう周りに手助けをしてくれる人はいない、と思っても無理はありません。再びの信頼関係のために、一度、心を白紙にし、真摯に積み上げていくほかありませんね。

3、「資本社会」から「信用社会」へ

生きる上で大切な「お金」。資本社会では、「お金が大事」で、それが社会を動かしていました。いましたと過去形で書いたのは、もうすでにその資本主義社会が崩壊を迎えつつあるからです。(だからといって、仮想通貨だとかそっちの話ではありません)

今、社会の中で大切なことはなんでしょうか。それは「人の信用」です。資本社会でも、お金を借りるときに「信用」が大切なように、過去のこれまでの行動によって其の人が「任用」されることで「信用」が成り立ちます。

一方で「信頼」は、単に「信じて頼る」だけなので、信用の有無ではなく、助けを求めるだけの話。頼る側も頼られる側も、「都合」で動くだけのことです。

世の中の人は、お金を信じていると言えるでしょうか。手段としての信用はあっても、「お金以外」のものに価値や目的を求め始めたりしていませんか?

経験や思い出、体験、仲間など、無形なものに人間の生きる意味と価値が見いだされつつある今、「お金」は単なる「手段」にすぎません。生きる「目的」は「幸せになる」ことです。そこには、人間関係や人ととの関わりが欠かせません。

だから、「信用社会」へこれから進んでいくのです。

「あの人は信用できる」

それを人間関係や他人が証していく社会。それには、他者を思いやる心、尊敬する心、助け合う心が、これからとても大切であるということを、認識しておきましょう。

けれど、信用に置けないからと言って、関係性を断ったり、社会的に存在を無にするようなことはあってはなりません。それは孤立や孤独を招き、その人を社会から死に追いやるようなものです。

対面しないで人とコミュニケーションできる時代になったからこそ、相手の気持ちや弱さを想像することが、大切かもしれませんね。

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