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アフターコロナとスポーツ

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現在新型コロナウイルスによって、あらゆる困難にぶつかっている私達であるが、この経験によってひとりひとりの価値観や生き方、そして社会のあり方が大きく変わるような予感をたくさんの人が抱いているのではないだろうか。

実際に、このピンチこそがチャンスだと、新たな試みをいち早く実施している個人や企業、自治体なども多くある。

そのような中、スポーツも例外ではなく、スポーツ自体の存在意義や、今後の在り方について見直されるべき時を迎えている。最近では「スポーツと開発(SDP)」分野のオンラインプラットフォームであるSportanddev.orgが「スポーツ(と開発)の未来について」というテーマで世界中にいる研究者及び実践者から記事を募集している。

そこで、私も一応スポーツと開発(SDP)分野で活動をする身として、コロナとこれからのスポーツやSDPの在り方について考えてみようと思ったものの、、 、、、絶望的なほど何も思い浮かばない。

アフターコロナ、、、

思い浮かばない理由はなんとなくわかっていた。

まず1つ目に、私はそもそもスポーツを発展させたいのではなく、スポーツはあくまで目的を達成するための手段として捉えているため、スポーツ自体の未来は正直、最重要ではないのだ。アリストテレスの目的論的に言えば「善」とは、目的のために道具があり、その道具が目的のために使われていることである。

よって、「人々を幸せにする」という目的のためにスポーツを用いる私達にとっての関心はスポーツの未来ではなく、私達の幸せな未来とは何か、である。道具を考えるのではなく、目的は何かを見極めることなのだ。

2つ目に、アフターコロナについて考えるという、そのとてつもなく前向きな行為がなんだか漠然と怖くて、拒否をしたくなるのである。

コロナを見事人類が乗り越え、アフターコロナを私達が生きる時、ビフォーコロナ時代にあった様々な問題がいかにもなかったように忘れ去られ、まるで全て解決したかのような錯覚が起こるのではないかと考えると嫌気が刺してしまう。

スポーツ界は、“過去”や“今”を正しく振り返ったり、反省や後悔をしたりしないまま、前ばかり見てて良いのだろうか。

例えば、現在スポーツ界隈で流行っている「〇〇チャレンジ」という動画コンテンツ(腕立て伏せなど、何か課題にチャレンジしてスポーツの力でコロナを乗り越えよう、というキャンペーン的なもの)があるが、確かに「スポーツの力で手を合わせてみんなで乗り越えよう!」「困難にチャレンジしよう!」というとても前向きで素敵な取り組みだ。

でもコロナがあったって、なくたって、毎日生きること自体がチャレンジングで必死で生きてきた人達・生きている人達がいる。乗り越えたくても誰にも手を貸してもらえなかった人達や誰にも気がついてもらえない人達もいる。

そんな人達のことを、前だけを見続けていたら、スポーツ界は想像することをできるのだろうか。小さなキャンペーンにいちいち文句を言うことはないのだが、チャレンジが大切なことなど誰でも知っている。でも、どうしたらみんなが一緒にチャレンジできるかを考える必要を感じるのだ。

「そんなこと言ったら何もできないじゃないか」とすぐにでも批判が聞こえてきそうだが、何もやるなといっているのではない。様々な立場にある人達を想像して、発信をする力や巻き込む力を身につけなければスポーツはいつまでたっても限られた人しか幸せにできないということを感じている。

では、コロナをきっかけにスポーツを誰も取り残さないインクルーシブなものに変え、スポーツで人々を幸せにするために今やるべきことは何か。

それは、スポーツの最先端にいる人達やアスリートであれば、アフターコロナについて戦略を練ったり、前を見続けることを説くだけでなく、走るのを止めて、見過ごしてきたもの、無視してきたこと、実は踏み超えてきてしまった人達を振り返ってしっかり見ることではないだろうか。

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