アフリカの女性スポーツの母。マチルダ・ムワバさんの追悼
My sincere condolences to her family, friends, colleagues, and NOWSPAR.
こんにちは。いつもコラムをご覧くださりありがとうございます。S.C.P. Japanの野口です。今回は、ある方の紹介をさせていただきたいと思います。私が母のように慕うザンビア人の方です。
アフリカの女性スポーツの母。マチルダ・ムワバさんの追討
アフリカの女性スポーツの母であるマチルダ・ムワバさんが2021年1月11日の夜中(ザンビア時間)に突然亡くなってしまいました。
マチルダさんは私が2015年1月~6月までザンビアでインターンをしていた時のインターン先である、NOWSPARの代表です。S.C.P. Japanもジョイセフさんとのプロジェクトを通して今でも一緒に仕事をさせてもらっている団体です。
そして、マチルダさんは私のホームステイ先のお母さんでもありました。
私が、「スポーツと開発」を専門にしていこうと決心したのもマチルダさんのおかげです。「国際協力」を穿き違えて理解していた私に、時間をかけて教えてくれたのもマチルダさんです。
ザンビアにいた6ヶ月は学ぶことしかありませんでした。「なぜここに住む人たちの価値観が国際的に平等に議論されないのか?」、「なぜ、こんなに素晴らしい人たちの声が直接、国連やグローバルビジネスの主流に届くことがないのか?」、「なぜ、現場で一番動いている人達の声の多くが代弁者によって発信され、彼女たちが認識されないのか?」
そんなことを思った6ヶ月でした。
そしていつからか、グローバルな議論の中で、同じ重さの声になっていない国々のそれぞれの文化の価値観や素敵なところを、学術的にちゃんと発信できるようになりたい、そこで生きる人たちと一緒に発信できる人になりたい、フラットに肩を並べて一緒に仕事をしたい、と思うようになりました。
これが私が「スポーツと開発」に軸足をおいて生きていきたいと思った動機で、その軸は今も変わっていません。(道は半ばも半ばですが、、)
そんなきっかけを与えてくれたマチルダさんを偲んで、今私ができることは何かと考えたときに、この場を借りて彼女がどれだけアフリカの女の子や女性たちに対してスポーツを通じてサポートしてきたか。そして、どれだけロールモデルとして若い女性たちを愛情を持って見守り、チャンスを与え、育ててきたか。日本語で皆さんに紹介させていただこうと思いました。
アフリカに住む人たちの声を届けたい。アフリカの人たちのすごさを知ってもらいたい。そんな初心を思い出して書いています。是非、最後まで読んでいただけると幸いです。
アフリカの女性スポーツの母マチルダ・ムワバさんの功績
※以下は上記、NOWSPARの記事の全文和訳です。
2021年1月11日、ザンビアのルサカにあるLevy Mwanawasa病院にて永眠。ここにマチルダ・ムワバ氏の約30年のスポーツ現場における実践、組織の運営、啓発活動の功績を記します。
2006年にムワバ氏はNational Organization for Women in Sport Physical Activity and Recreation (NOWSPAR)を共同で設立しました。そして、亡くなるまで代表を務めました。NOWSPARは市民社会に焦点をあてた、スポーツ界、社会における女性の権利をスポーツを通じて啓発する代表的な組織です。ムワバ氏は女性スポーツアフリカネットワーク(Women Sport Africa Network: WSAN)の座長を務め、国際女性スポーツワーキンググループ(Interntional Working Group on Women and Sport: IWG)のアフリカ代表を務めていました。
彼女は2004年マンチェスターで開催されたコモンウェルス大会のザンビア代表チームのマネージャーを務めました。また、2011年オールアフリカ大会に参加するザンビア代表選手のチームアイデンティフィケーションプログラムを先陣を切って進め、アフリカゾーン5ゲームズ(アフリカ大陸の南部の国々の大会)のボランティアマネジメント委員会を牽引しました。
柔道の黒帯2段を有し、1998年から2005年まで女性として初めてザンビア柔道協会の会長に選ばれました。この革新的な選挙を通じて、ムワバ氏は国際的な武道コミュニティの中で初めて会長に就任した女性となりました。そして、アフリカ人女性として初めて国内柔道協会の会長となりました。そのほかの彼女のスポーツ界のリーダーシップの功績として、ザンビアスポーツカウンシル(National Sport Council of Zambia)で理事を12年歴任したばかりではなく、青少年スポーツ省の女性テクニカル・アドバイザリーグループメンバーやザンビアオリンピック委員会理事、Kicking Aids Outネットワーク会長、アフリカ連合スポーツカウンシルZone5のジェンダーアドバイザリー委員会メンバーに就任しました。
ムワバ氏は彼女のキャリアの中で、「開発のためのスポーツ」のアプローチとスポーツ界におけるジェンダー平等の様々なレベル(国内、地域、国際)において先頭で居続けました。彼女は伝統的リーダーグループ、スポーツ競技団体、議員連合、アフリカ連合スポーツカウンシルZone5女性委員会、アフリカ女性スポーツ(Africa Women in Sport: AWISA)、国際女性スポーツワーキンググループ(IWG)、国連、G8、世界銀行サミットなどの議論の場に関わり続けました。
ムワバ氏はRothmansスポーツ賞とザンビアスポーツカウンシル賞において、スポーツアドミニストレーター賞を3度受賞したばかりではなく、青少年スポーツ省からザンビアの女の子と女性の参加の功績を讃えられ賞を受賞しました。
また、2014年にも、アフリカ連合スポーツカウンシルから賞を受賞し、2019年には、ザンビアの大統領から彼女のザンビアのスポーツ発展における功績を讃えられ賞を受賞しました。そして、2020年にはアフリカ連合スポーツカウンシルZone5に殿堂入りを果たしています。
愛情と実力を兼ね備えたリーダー
マチルダさんの功績は本当に素晴らしいので、それはちゃんと日本語で書き残しておきたいと思い書きました。しかし、私が一番尊敬するところは、実力だけじゃなく、愛情がとても深いところです。
マチルダさんが代表を務めるNOWSPARで働く20代〜30代の若い女性たちはみんなマチルダさんのことを「アンティーマティー(マチルダおばちゃん)」と親しげに呼びます。NOWSPARで働く若者中には、スラム出身の方もいました。義務教育しか受けられなかった人たちも働いています。ビジネスとして完璧に英語が使いこなせない人もいます。そんな彼女たちに仕事を与え、あなたのこんなところが素敵だね。と常に笑顔で彼女たちと話していたのを覚えています。また、彼女たちが高校や大学、大学院にいける奨学金制度をNOWSPARの中で作り、彼女たちが自立して人生を歩めるように後押しをしていました。マチルダさんの後を継いで代表になるスタッフが、イギリスの大学院で博士を取れる奨学金も交渉して獲得していました。「今度、彼女がイギリスでドクターコースに入るんだ」と嬉しそうに話してくれたのを今でも覚えています。
なかなかできることではないと思います。次世代のためにヨーロッパの大学や組織と交渉しきる力も、それをやりきる愛情もザンビアの若者たちを本気で考えていたからだと思います。学士、修士、博士の資格がどれほど彼女たちの道を開き、対等に議論する力を与えてくれるか知っていたからだと思います。そして、NOWSPARのメンバーもそんなマチルダさんの想いを受け止め、仕事をしながら大学に通い、いつか大学院にも行きたいんだと夢を語っていたのを覚えています。
マチルダさんはそんな愛情を私にも分けてくれました。どこからともなく突然現れた右も左も分からない26歳の若造の私を、まるで保護するように家に住まわせてくれ、6ヶ月間、家族のように接してくれました。
与えてもらったことが大きすぎてどうやって恩返ししたらいいのか、全然目処が立たないのですが、これから先もずっと心に残る思い出を糧に、私なりにずっとずっと感謝の気持ちを表現していけたらなと思います。
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