専門看護師、認定看護師の取得目的はお金と思われている?
「さぁ、寝ようかな」と思った深夜1時すぎにあるツイートを見て「ん⁉︎」と思うことがありました。
以下の内容です。
このツイート主さんの他の方とのリプでのやりとりを読むと、言いたかったのは「お金との二軸で考えた方がいい」ということらしい…
これは私の読解になりますが、「お金との二軸」という文脈を最初のツイートと合わせて読み解くと「専門看護師、認定看護師などは給与の交渉せず、やりがいという言葉で組織と話をせず目を背けている」という意味にも読み取れます。
「ん⁉」と思ったのは、少なくとも私の周りにいる認定看護師、専門看護師をもっている方で、その技術があるからといって「お金、稼ぎ、給与…云々」とおっしゃる人には、出会ったことがないんですね。
だから、私が認識している事実をツイートしました。
まず。このツイートに関する私のスタンスをお伝えします。
私は、看護師として高いケア技術に対しての対価(給与など)をもらうべきという立場です。
つまり「お金をもらうのが悪い」「給与交渉するのが悪い」とは、全く思っていません。
言いたいのは、それが認定、専門の取得目的ではないということです。
だから、この記事の論点としては専門看護師、認定看護師が…
お金あんまもらえてないのにやりがいあるって言ってるの、自分に暗示かけてるようにしかみえない...
たいして稼げてないことから目をそむけたくてやりがいという便利な言葉に逃げてるだけでしょ...
この二つについての私の見解について書きます。
お金あんまもらえてないのにやりがいあるって言ってるの、自分に暗示かけてるようにしかみえない...
「お金をあんまもらえていない」のは、それなりの給与をもらっている方もいらっしゃるので、一概にそうとは言えません。が、「大変なライセンスの割には…」ということなんだと解釈しました。
だから自分に「やりがい」という暗示をかけているようにみえる、ということですね。
ではなぜ、専門、認定さんたちは「やりがい」という「暗示をかけている」ように思われるのか?
それは先述したように「お金を目的に取得したから」と思っている人がいるからです。そして、この主観も、その人の主観としての事実ですので正しいので、否定はしません。
そう見えているのだから仕方がない…
でも専門、認定をもっている側からの主観から捉えると「暗示」などはかけていません。私のツイートの繰り返しになりますが専門、認定を取得する人は学びたい、ケアを向上して、より良いケアを提供したいという人ばかりです。
例えば、給与だけを高めていきたいのであれば、専門や認定を取得できるほどの能力があるので、単純に管理職を目指した方が、近道です。
管理職になれば、確実に昇給や管理職手当がつきます。
でもスペシャリストを目指したということです(もちろん管理者と並行して担っている人もいますが…)
なぜか?
お金が目的ではなく、学びたい、ケアを向上して、より良いケアを提供したいなどが、目的であり、動機だからです。(補足:だからといって管理者になる人が、それを投げ出しているという意味ではありませんので…)
たいして稼げてないことから目をそむけたくてやりがいという便利な言葉に逃げてるだけでしょ...
繰り返しになりますが、私の周りには「たいして稼いでいる人」もいるし、「稼いでいない人」もいます。
何を基準にというと、その地域の求人にでている年収に比べてという意味です。
だから、たいして稼げていないというのは、少し誤解がありますが…
でも、ここでは論点がズレないように、ツイートにあった「稼げていない」という前提で話を進めます。
この事実としては、やりがいという言葉で逃げているというよりも、実際には「本当にやりがいを持っている」といった方が正しいです。
なぜなら、繰り返しになりますが、取得の動機が給与アップの材料にしたくて、目指したわけではないからです。
先述したように、給与アップを目指すなら管理職を目指す方が早いとわかっているけど、専門、認定の道を進んでいるんですよね。
だから、ここに大きな誤解があると思いました。
では「給与との二軸で考えることが必要」ということに関してはどうか?
結論、給与だけに固執していないということだと思います。つまり給与は二軸の候補ではないということです。
というのも実際には給与以外のインセンティブを求める人の方が多い気はします。
例えば病棟には所属せず、コンサルやリエゾンで横断的に渡れる部署を希望するとか、自分が専門としている病棟に配属できるとか(異動がない)、自分のやりたいことに関する権限をいただくとか、先駆的なプロジェクトに携わらせてもらうとか。
その資格をもって、自分の力が存分に発揮できる環境を切り開いている人が多いです。
もちろん全員がそういう環境を切り開けていないかもしれません。もしかすると壁にぶつかり、行き詰まっている人もいるかもしれません。
でも少なくとも、そこで、もがきながらやってるんですよね。
「お金、稼ぎ、給与…云々」とは言わない。
なぜか?
自分が目指した道だからです!
(=やりがい☆彡)
だから給与だけに固執しないということです。
(そもそも、そこが取得目的ではないので…)
もし、そこで稼ぐを目的に方向転換した人は、副業したり、別の道を模索したり、キャリア転換したりしています。(補足:転換することが悪いといっているわけではありませんので…)
だから認定、専門の枠内で「やりがい」を逃げ道にしている人はいないのです。
「稼ぐ=悪」とは思っていない
こういう話をすると私自身が「稼ぐ=悪」と思っているのではないかと、誤解されることがあります。
私のスタンスとしては…
稼ぐ=正義
と思っています。
その理由は、「稼ぐ」というのは、自分の提供しているものにお金を支払ってもらっている。
つまり、そこに対価が支払われる価値があると他者が思ってくれているということです。
ではお金とは何か?
お金=信用
とも置き換えられます。
信用があるからお金を得られるし、借りることもできます。
例えば、信用取引や銀行からの借り入れなどもそうですよね。
では、看護師でいう稼ぐとは?
その看護に信用があるかどうかだと思っています。
信用は「信じて任用すること」といわれるように、過去の実績や評価、評判などによって成立し、それが発展することによって「信じて頼られる」という信頼に変わっていくのだと思っています。
だから、そこに対価が支払われるというのは、当然だと思っています。
じゃあ、やっぱり専門、認定の人たちは稼げる人たちなのでは?という声が聞こえてきそうです。
結論、その通りです。
専門、認定をもっている人たちは、稼げる人たちだと思っています。
でも、それは専門、認定の取得目的ではありません。
結果として、看護の信用度の高い、あるいは看護の信頼性が高い、「稼げる人たち」が専門、認定をもっているということです。
最後に…
ひとつのツイートを夜中にみて、専門看護師、認定看護師と稼ぐ(お金)ということについて考えを深めることができました。
この記事を記したのは、決してツイート主さんを批判したいわけではありません。
専門、認定を取得する動機に「稼ぎたいから取得する」という人はいないという事実を伝えたかったからです。
だから「やりがい」という自己暗示をかけているわけでもないし、稼げてないことから目をそむけたくて、便利な言葉を使い逃げているわけでもないということです。
そこには、本当に「やりがい」があるから、続けているということです。
こういうことを考える機会があるのは、Twitterの良いところですね。
そういう意味でツイート主さんにも感謝です!
(勝手に感謝なんかされたくないかもしれませんが…)
ちなみに私は精神科認定看護師を持っているのですが、昨年、10年目でした。更新年だったのですが、どうするか迷いました。もちろん更新するためのポイントはクリアしていたのですが、悩んだのは今のやっている仕事には直結しないからです。
つまり更新しても、しなくても、今の仕事に影響しない。だったら更新の手間があるので、「もう更新しなくてもいいかな…」と思ったのです。
でも一人で決断するのは、少し勇気が必要だったので、職場の認定同期に相談しました。すると次のように言われました。
「今の仕事だけを考えたら更新しなくてもいいんだろうけど、これまでの認定仲間とのつながり、自分のケアを向上させていくことは大丈夫かい?」と。
つまり臨床家としての切磋琢磨がなくなり、どんどん腕が落ちていくのではないかということです。
また認定看護師を持っているからこそ、職能団体との対話も可能になり、その人たちとの交流も図れているのでは?ということです。
もちろん、そこに価値をおかない人にとっては、そういう理由で更新する意味は理解できないかもしれません。
でも今の私にとっては、そこは必要なところでした。だから更新しました。
私の経験からも、そういう意味では専門、認定をもつことは、お金以外のインセンティブが大きいのかなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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