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孤独の定義なんて今はいいから、小さな幸せを噛みしめたい。

何かできることはないか
家族に移したらどうしよう
あいつは元気なのか
あれも出来ない
これもできない

色んな思考が頭を支配する。
家で仕事をする時間が増えた。
1人でいる時間が何倍にもなった。

例えば電車に乗らなくて良くなったり
移動時間分を有効に使えて、嬉しい側面もある(移動時間自体をどう過ごすかとかも考えるのは楽しいけれど)。

でもやっぱり、孤独というのは徐々に根をはっていて
僕の心の中に育ってきているんだなと感じた。

僕個人としては、孤独は人生のスパイス、いや、ドレスコードのようなものだとも思っている。
一定の孤独を感じた人が紡ぐ言葉、作るもの、心の肌触り、どれも本当に美しいと思う。

孤独から芽吹くものの美しさ、儚さって、偉大なんじゃないかと思っている。

でも限度だったり、バランスだったり
なんでも直線上に無限に伸びて、良くなっていくものではなくて
僕たちの実際は、円だったり、循環だったりに支えられながら、振れ幅を持つものなんではないかと思う。

孤独を感じすぎていると
やっぱり、悲しくなるし、気づかないうちに少し、弱ってしまったり
投げつけたくもない言葉を投げつけてしまったり、僕はしてしまう。

孤独が何かなんて、今は僕にとってはどうでもいい。
構造的分析は脇に置いて
今この状況でただ、座していたくない。みんなと触れ合っていたい。

今日の朝、彼女とzoomで朝の運動タイムをやってみた。
眠気をまだ少しだけ纏った2人の空気感が愛おしかった。
とても前向きな気持ちで、1日が始まった。


1日2回、散歩に出かけている。
今日は、地元の同級生一家が営む鶏肉屋さんの近くまで行ったので
元気にしているか、気になって、覗きに行った。

彼のおばあちゃんも、お母さんも、お兄さんも(お兄さんに会うの多分10年ぶりくらい!今日たまたま手伝いに来ていたらしい)みんな、いた。

何か買って行こうと思ったけれど、友達は僕に唐揚げと焼き鳥盛り合わせのパックを渡して、お金は受け取ってはくれなかった。
不器用なこのやりとりが僕ららしいと思った。

彼の子供の話を聞いていたり(おめでとう!)、彼が激太りしたことに
笑い転げたりしながら、少し一緒に過ごした。

少ししてから、あるお客さんがお店にやってきた。
その人は僕の母の親友で、僕を赤ん坊の頃から知る姉さんだった。

自分の母の親友が、友達の店の常連だなんて
一生に一回はありそうなシナリオだけれど、とても幸せな気持ちになったし、たくさん笑ったと思う。

たった30分外に出ただけで、こんなにも暖かい。
僕の中の孤独の何%かは、どっかに飛んでいってしまった。


状況は切迫していると思うし、自分たちに何ができるのか
そんなふうに思って無力さに押しつぶされたりするけれど
近くのあいつや、連絡とってなかったあの人、そういう人たちに声を聞かせてあげるだけでも、本当にみんなの心は晴れていくと思う。

僕は文章で自分が良いと持ったことを伝えたい、皆さんからも教えて欲しい。
そうやって小さな幸せを噛みしめながら、大丈夫だって思いながら
生きていきたい。だって、大丈夫なのだから。

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