1999年の旅日記(2)〜チャイナエアライン642便着陸失敗事故の影響はまだまだ続く。
マニラに到着して一夜明けた8月23日(月曜日)の当時の記録。
私がなぜマニラにいるのか、詳しくはこちら。
1999年8月23日(月)〜24日(火)
朝8:00に起きて朝食を食べた。
8:00に起きたと言ってもほとんど寝てはいない。
11:00にチェックアウト。
少し時間があったのでホテルの外に出てみた。少し歩いただけで汗が出てくる。
湿度の高いネチネチタイプの気候。車はクラクションを鳴らしながらバンバン走るし、変な車もいっぱい走っている。エラソーな人がライフルを構えて直立不動で立っている。歩いているとすぐに人が寄ってくる。
タクシーに乗れ、キーホルダーを買え、とか。
食べ物も飲み物も、甘い辛い濃いの3原色。なんてベビーな街なんだ。
バスで空港に連れて行かれて、昼頃に着いた。戦後の配給みたいにサンドイッチが配られた。ボーッとすること3時間半・・・。
やっと飛行機に乗れたけど、また飛ぶまでに1時間。
結局夕方4:30に出発。マニラ空港では動き回らないようにライフルを持った監視員にずっと見張られていた。トイレ以外の自由はなし。
マニラ空港はキャセイ4機、エアフランス、JALなどでごった返していた。
香港に着いたのは6:30。マニラと香港の間に時差はないのだ。
機内食の非常食を初めて経験する。
香港に着いて一安心・・・どころか、すごいパニック。
いきなり空港に着いた途端、ポイッと捨てられた気分。
約3時間、通勤ラッシュの満員電車の中にいるような、人と怒号でもみくちゃにされて必死でチケットをゲット。これが本当の必死と言うものだ。
(私が乗るはずだったイギリス行きの飛行機は私を置いて行ってしまった。)
ギューギュー詰めの中で、前の方を見ようとつま先立ちになったら、私のかかとの下にはもう誰かの足が入ってくる。疲れ果ててヘロヘロ。
AM2:00 飛行機に乗り込んだ。機内アナウンスでまた1時間待てという。
AM3:00 ロンドンに向かってTakeoff。離陸を覚えていない。座った途端ドロドロになって眠って、コペンハーゲン、アムステルダムの上空を飛び越えてヒースロー空港に到着。その間12時間。
ロンドンは雨。
入国手続きを済ませて荷物受け取りコーナーへ。いくら待っても私のスーツケースは来ない。最悪の事態発生。私のスーツケースはまだ香港にいたのだ。
そういう人が私の他にも何人もいて、サービスカウンターでまた並ぶハメになった。係の人が言うには明日(8/25)に届けてくれるらしい。
書類を書かされて、Christine(以前短期留学した時のホストマザー)の家に届けてもらう事にした。私はホテルなど宿泊先を決めていない。
書類なんか英語では難しくて、辞書が活躍する。
コーチ(高速バス)のチケットを買うため、フライトリンクのカンターへ行った。
バーミンガム空港までのチケット購入。
エアレイルバスで空港からインターナショナル駅へ行った。
そこから電車でバーミンガムニューステーションへ、そこから歩いてモーステーションへ。そこから電車でオルトンステーションへ。
やたら疲れる・・・。
オルトンに着いた時はさすがに嬉しかった。
そこからまた歩いてChristineの家へ。
ベルを鳴らすとクリスが出てきて、私が着いたことをとても喜んでくれた。
クリスにはとりあえずマニラから電話しておいたのだ。
私がスーツケースもなく、カバン一つであまりにも身軽なので驚いていた。
服もない、シャンプーもない、なーんにもない、ずっと同じものをこの3日間着ていた。クリスに服を借りて、クリスのでっかいパンツも借りて、シャンプー石鹸タオルブラシ全て借りてお風呂に入る。ゆっくりバスタブに浸かって人心地を取り戻した。
やっとイギリスに着いたものの、スーツケース他事件が連発する旅だった。
次回「スーツケースを待つ」の巻
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