1999年の旅日記(番外編)〜2024年の私が思うマニラと香港と東日本。
たまたま読み返して面白かった1999年の旅の記録。
楽しかった追憶の旅も終わってしまった。
2024年の私が思い出したり考えたことをちょっと書いてみる。
香港へ行って乗り換えの飛行機に乗り、イギリスに行く予定だった私は、チャイナエアラインの事故の影響でマニラに行ってしまった。
日記には書いてなかったけど、私がマニラに入国した記録は残っていない。
マニラに着いて、空港から出る際に入管でパスポートを見せたけど、そこでは入国のスタンプは押されなかった。
出国の際もパスポートはチェックされるのみで、おそらく私という人間が本物かどうかをチェックされたのだと思う。
ライフルを構えた職員に見張られながら、パスポートをチェックされる。
観光客が出国する賑やかなロビーではなく、トイレと少しの椅子があるだけの無機質な空間だった。
椅子の数が圧倒的に足りないので、私は窓際の出っ張り(ほぼ床)に何時間も座って待った。
キヨスクが一個だけあった。
マニラもキヨスクなんだ・・・と思った。
私のパスポートにマニラの記録は残っていない。
マニラホテルの豪華な玄関で、乗客の1人に撮ってもらった写真が一枚あるのみ。
事実上、入国してはいない人物なので、本当はホテルの外をうろついてはいけなかったのだと思う。
マニラに着いた日、空港からバスに乗せられてマニラホテルに移動した。
この時のバスの床に穴が空いていて、走っていると足元に地面が見えていた。
日本では考えられないけど、この国ではこういうものなんだろうと思った。
マニラの街中にマクドナルドが見えて、世界中にマクドナルドがあるのかと思ったけど、外装が全く見慣れない緑色で、ものすごい違和感だった。
暑い国だから、マクドナルドの赤色が暑く感じられてしまうので緑にしてるのかな、と考えた。
マニラの空港で一人旅の日本人女性に出会った。
髪型はベリーショートで、荷物は登山用のリュックサックだった。
とてもボーイッシュな私より多分若い、女の子。
私の後ろに並んで出国のためのパスポートを出していた。
私の後ろにすぐに続いて来ると思っていたけど、全然ゲートを通ってこない。
どうしたのかな、と振り返って見てみると、職員とすごくモメている。
空港職員は怒っていた。
「パスポートは女性と書いてあるが、あなたは女ではない!」
どうもパスポート偽造?もしくは他人のパスポートと思われたらしい。
自分は女だと果敢に応戦していて、こんな非常事態なのに笑ってしまった。
香港で思い出すのは、チケットカウンターでの「もみくちゃ事件」
チケット変更の群衆が押し寄せて、人間も鞄の中身も全てぺっちゃんこにされてしまった。
チケットカウンターの職員の方々は、ひたすらに業務に励んでいて、精一杯やっているけど、人が多すぎて時間がかかっているだけだった。
だけど後ろからどんどん押される。自分では身動きできなくなってしまった。
押されて前の方に来たら来たで、私も職員の目の前に割り込まなければ、永遠に自分の番はやってこない。
怒鳴っている人の声。近くからも遠くからも怒号が絶えない。
この一時期、中国語が嫌いになった。
それから12年後、日本では東日本大震災が起こり、私のような者でも気持ちが落ち込んでしまったのだけど、この時世界を驚かせたのが、日本人のマナーの良さだった。
こんな未曾有の大惨事の中でも、日本人は順序を守り、他人を押し退けて奪い合うようなことはなかった。
火事場泥棒は残念ながら日本にも出没していて腹立たしかったけど。
震災が起きた後、しばらくしてから世界から賞賛を受けているというニュースを見て、あの時のあの感じをリアルに思い出したのだった。
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