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側弯症手術記

こんにちは。
大学3年生のTamakiです!

前回のNoteをお読みいただいた皆さん、ありがとうございます!

さて、2つ目の記事は何を書こう…と考えた時
やはり皆さんにとって1番知りたいことは

手術について

ではないかなと思いました。

なので、本日は時系列はさておき私自身の側弯症手術記を書いていきたいとおもいます!

なるべく細かく書いていこうと思うので、
この記事では手術当日〜術後2日目までの2日間の話を主に書いていきます!

【注意】
この記事では、手術までの流れだけではなく
その時の痛みの感じ方等、なるべく細かく事実を書いてあります。
もしかしたら、この記事を読むと少し不安になってしまうかもしれません。
手術を控えている方は、特に読む前に覚悟して読むことをお勧めします。

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私は側弯症の手術を2020年8月12日に行いました。
現在は2年が経過しており、来月は2年検診に行く予定です!
(担当医の転院の関係で1ヶ月遅れの検診です)


2020年というと、まさにコロナ禍でした。
Stay home が盛んに訴えられていた時期での

側弯症手術

少しイレギュラーな部分もあるかもしれませんが、
未だコロナウイルスの影響は収束していないので少しでも参考になれば嬉しいです

私は背中を開いてボルトで背骨を真っ直ぐに固定する後方矯正固定術で背中の歪みを直しました。

術前と術後の変化は(うろ覚えです)
胸椎55°→13°
腰椎40°→13°
身長168cm→171cm

ボルトの本数は16本です🔩

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当日の様子

人生で1番迎えたくなかった日、8月12日
6年間手術をすることに怯えていた私ですが、
当日の朝はケロッと朝7:00に起きました
(正しくは看護師さんに起こされました笑)

正確な時間は覚えていませんが8:45には病室を出た記憶があります。

それまでに浣腸をします。
前日の夜に下剤を服用しましたが、お通じがこなかったため浣腸しました。

そして手術用の下着を着ます。
これは病院備え付けのコンビニで売ってました

そして手術着をきます。

少し時間が空いたので、Instagramを流し見。
とにかく手術のことを考えたくなかった
六本木の美味しそうなカフェをスクショしたのを覚えてます

そして、看護師さんと歩いて手術室へ

両親が来てくれていましたが、感染症対策のためすれ違いざまに手を振るだけでした。

手術室へ入ると、担当してくれている先生が

顔を見た瞬間少しホッとしました

しかし、それも束の間

先生の顔がいつもと違って手術モードだったので


「これから手術なんだ」


と、妙に冷静になりました。

ここでやっと覚悟ができた気がします。

手術室のベッドに寝転び、採血
そし後、色々と点滴を腕に刺されます

そして、麻酔です。

「深呼吸してね」という言葉を最後に眠ります

……

目が覚めると、あり得ないほどの激痛
上半身を上から釘で打ちつけられてるような痛み
あの瞬間の痛みは忘れられない

呼吸がちゃんとできたことを確認され、呼吸器を付けられます

この、術後初めて目を覚ました瞬間
なぜか頭の中のよく聞いてたとある曲が流れたんです。
その曲はなんとなくですが今でも聴きたくなくて、術後は聞いていません

ここからは意識が曖昧なので記憶も曖昧になります
術用とはまた別の麻酔によって眠らされていました。

次に意識が戻ったのは、自分の病室
かすかに両親の面影が見えました

本当は感染対策上、入院者以外は病室への立ち入りを禁止されていましたが、この時だけは許されたそう

しかしながら、両親曰く
「とても見ていられなかった」

私も両親の面影を捉えて、また眠ってしまいました

9:00くらいから始まった手術ですが、
病室に戻ってきたのは17:00頃だそうです

その日は麻酔が強く効いていたためしっかりと寝ていました。
というより、意識が薄れて時間を認識できませんでした。

また、うっすら意識が戻ったとき
院内放送とドンドンと大きな音がしました

その日、病院付近は雷雨が激しく、病院は停電していたそうです。

そんな中ずっとずっと眠ってました。

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2日目の朝
看護師さんに体を拭かれたことで、割と意識が戻ってきました。

その時見た風景は、


両腕に点滴
傷口から血液を除去する管
そして尿カテーテル

なんだか本当に手術したんだな。と思いました

そのあと、リハビリの方が来てベッドの起き上がり方をレクチャーしてもらいました。

しかしなんせ痛すぎる
痛いし、管だらけだし、なんでこんなことさせるんだ!
泣きたかったです。

そこからまた眠ります。
2日目、しっかりと3食ご飯は出ましたがとてもじゃないけど食べられませんでした。

そして、2日目の夜

激痛がきました

麻酔が完全に切れてしまったのだと思います 

この時の激痛が人生で1番きつかったです。

これまで眠りすぎてた影響もあり、眠れません。
ひたすら痛みとの戦い

手元にあったPCAポンプという、自分のタイミングで打てる麻酔を何度も押すも

痛みは治らない

上半身が痛く自由に動かせない中
部屋は真っ暗
ナースコールが見つからない。

そしてついに幻覚を見ます。

暑いし、寒いし、痛いし、もう死にたい 

ひたすらそう思いました

やっとのことでナースコールを手にし看護師さんを呼びます

すると、あり得ないほどの熱と汗だったため
氷枕を持ってきてくれました

しかし、それじゃあ痛みは治らない

何度も何度もナースコールを呼びました
そしてついてPCAがもう切れていたことに気づいてくれて新しい痛み止めの点滴を打ってくれました

これでやっと痛みから解放され、眠ることができました

尋常じゃないほどの痛みを感じたのは、
2日目の夜が最後でした。

3日目からスッと痛みが軽くなったのを覚えています。
それについては今後お話ししていきたいと思います。

以上が、私の側弯症記の中で最も辛かった2日間での出来事でした。

不安にさせてしまったらごめんなさい。
でも、これが現実でした。

しかし、3日目からスッと痛みが嘘みたいになくなったのは本当です。
もしかしたら、2年たった今はもっと痛みを少なく、
楽な手術が行われているかもしれません。

そして
今後もNoteにて心境の変化を書いていきますが、
私は手術を行ったことを一切後悔していません

逆に、これを乗り越えた自分ならなんでもできるという自信にさえつながりました。

これから手術を控えている皆さん、一緒に乗り越えましょう。

▼手術後のレントゲン

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