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GIGA2年目の現場雑感

 GIGAスクール構想がはじまって、2年目を迎えた。本稿は2022年9月(令和4年度前期)段階での、主に中学校現場での現状について述べる。

(1)教員用端末貸与の現状


 GIGAスクール構想によるICT端末(札幌市はChromebook)運用が開始されて2年目を迎えた。 
 昨年度早々に生徒用端末配備は完了したものの教員用端末の配備が十分でない学校も多く見られた。この場合、臨時的な対応として既存のWindowsタブレットでのChromeブラウザ運用を行っていた。一方、学校市費予算から教員用端末整備を行い、早い時期から授業担当教員全員の端末貸与ができている学校もある。

(2)昨年度段階での学校全体での端末活用状況


 昨年度は、端末の生徒貸与と初期段階の利用に関する指導と並行して、新型コロナウイルス感染症に伴う出席停止生徒へのリモート授業対応等に追われた。朝学活での健康観察等は主に学級担任が担うことが多いことから、昨年度初期段階では学級担任の使用率が高かった。

 授業での活用は、当初は検索や動画視聴を中心に使用が始まり、徐々にGooglefoamsでの小テスト実施や学びポケット等のクラウドサービスの利用が広がった。しかし、実際の授業での具体的な活用方法については、各校のICT担当者の周知に依存する傾向が強い。

 昨年度はGIGAスクール支援員の定期訪問で、教員への支援は随時行われていた。しかし、端末貸与が無い教員は支援を受ける案件自体が無い。
このような状況において、授業での活用状況については、積極的に活用を進める教員がいる一方で、端末貸与が無いので活用が思うように進まない教員や端末が貸与されているにも関わらず活用をしない教員もおり、学校全体で活用を進めているとはいえない面が見られる。

 また、生徒の日常生活での利用に伴って、オンラインゲームの指導や誹謗中傷事案、授業に関係の無いwebページ閲覧への指導など、従前の生徒指導には無かった対応が必要となった。

(3)ベテラン教員の端末活用の現状


 櫻井ほか(2011)によると、若手あるいは中堅に差し掛かる教員のICT活用に関する苦手意識や懐疑はベテラン教師に比べ低く、またICT 活用への関心・意欲やICT 機器の教育効果に対する肯定的評価が高いことを明らかにしている。
 このことから、再任用ハーフの教員等のベテラン教員は、端末活用に積極的ではない可能性がある。また、これまでの積み重ねた端末を用いない教科指導経験が逆に端末利用に抵抗感を示す可能性があり、今後、端末が完全に配備されてとしても、ベテラン教員の端末活用が進まない可能性がある。

(4)新しい時代の学校教育の実現に向けての課題


 GIGAスクール構想の目標には「誰一人取り残すことのない公正に個別最適化され、創造性を育む学びの実現」であり、学習者の生活環境によらず、誰もが障壁を越えて学びを継続できることを示している。
 さらに文部科学省(2021)の「1人1台端末を活用した学ぶ力の育成」では「端末を学習ツールとして活用」することとしており、「個別最適な学び」について述べている。

 「個別最適な学び」は「指導の個別化」と「学習の個性化」の2つから構成される学習方略を示す。「指導の個別化」は「教師が支援の必要な子供により重点的な指導を行うことなどで効果的な指導を実現すること(文部科学省2021)」としており、これは、従来の課題解決中、演習中の机間指導やTT指導に相当する。
 一方「学習の個性化」は「基礎的・基本的な知識・技能等や、言語能力、情報活用能力、問題発見・解決能力等の学習の基盤となる資質・能力等を土台として(中略)子供の興味・関心・キャリア形成の方向性等に応じ、探究において課題の設定、情報の収集、整理・分析、まとめ・表現を行う等、教師が子供一人一人に応じた学習活動や学習課題に取り組む機会を提供することで、子供自身が学習が最適となるよう調整する(文部科学省2021)。」としている。

 この「学習の個性化」を授業の文脈で想定してみると…。

 タブレット端末を使って、教師の説明だけで理解できない場合に、生徒各自がweb上でわかりやすい資料等のコンテンツを見つけて、自分で理解を進める姿を示している。教師の役割は、「その機会を与える」ことであり、この場面での教師指示や指導は必要では無いことを示している。

 これまで教師は、主に教科授業において、児童生徒に対して、楽しく、わかりやすく「教える主体」であった。いかに生徒同士の「協働的な学び」が重視された授業であっても、必ず授業担当教師の支援と助言が中心となっていた。

 しかし、「学習の個性化」は、授業担当教師以外の「web上の別の教師の存在」が教室内に出現していることを意味する。
 少し意地悪な表現をすると「この先生の説明は、僕にはわからないから、YouTubeのあの人の説明を聞いてみよう」ということが、その授業が行われている同じ空間で起こるということだと考える。
 これに対して、教師が「私の説明で理解できないからと言って、授業中にYouTube解説を視聴するのは許さない。放課後教えるから来なさい。」となったらどうか?
 学習者は、「疑問に思ったらすぐ知りたい」という動機があって、タブレット端末が目の前にあり、Webで「すぐ調べられる手段がある」のに、教師から止められる。

 このように「学習の個性化」は、これまで教員がもっていた指導観や教材観を大きく転換することを迫るものであり、容易に定着するものとは考えられない。


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