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臨時休校で気づいたこと

 弊校がある北海道札幌市は明日から2回目の臨時休校に入る。私は、主幹教諭兼中学校1年生の担任として新年度を迎えた。

 北海道知事の英断による前回は2月27日に臨時休校を行った。この時は3月13日までの期限が決められていた。だから、授業進度が若干心配だったが、「まあ、何とかなるか」程度の認識であった。今思えば、この時点での私の認識を大いに恥ずべきことだったと考えている。よもや理科教師が新型コロナウイスル感染症の認識を甘く見積もっていたことに対して、だ。当時(2020年3月)も1年生の担任だったので、臨時休校前の帰りの学活で彼らと別れたときも、「また、会える」程度の認識だった。

 すべては、大きな誤りだった。

 その後、臨時休校期間は延長され3月末の短時間の分散登校と修了式が彼らとの再会となった。本来は、学級が解体される3月は、1年間の振り返りをしたり、仲間同士の1年間の成長だったり成果だったりを確認し合いつつ、学級の仲間との別れを惜しむ季節だった。

 すべてが、できなくなった。

 このほか、「教師という生業が、生徒(子ども)がいて初めて成り立つ」ということを、身にしみて気づいた。

 分散登校で、久しぶりに彼らの姿を見たとき、不覚にも僅かに落涙した。

 気づいたことがある。普通の日常は、何かの出来事で簡単に消失する。今日は会えても、明日は、会えないこともある。出来事は、何か大きな災害や戦争を示すのだけれども、それを承知していてもなお、気づかなかった日常。当たり前の日々。「今、この時を大切にしなければならない。」脳細胞でとっくに認知しているありふれた言語が、鋭利な刃物となって抉る。

 そして、今日、2回目の臨時休校の前日に彼らを前にして語った言葉がある。

 「せっかく楽しみにしていた中学校生活が入学後たった5日で中断します。今、先生は中断という言葉を使いました。再開があることを信じて中断という言葉を使います。でも、みなさんは、小学校6年生の終わりも満足に過ごすことができず、今度は、中学校入学直後でこのような経験をしなければならない。これは、みなさんだけでなく日本中の否、世界中の人たちが経験しなければならないことですが、それにしても、とても辛いことです。再開を前提に中断という言葉を使います。でも、もしかすると人類が初めて経験する世界的な脅威ですから、何が起こるかわかりません。先生は50代ですから、一番感染率が高くて死亡率も高いです。だから、これが最後の別れになるかもしれません。だから、とりあえず『今までありがとう!』(一同少し笑う)。そうならないように、私も、みんなも自宅で過ごしてください。広い公園で軽く走ったり、運動したりするのはいいけれど、決してみんなで集まったりしないでください。本当に、この出会いが、これからずっと記憶に残るように、再開してみんなで元気に会えることを祈っています。」

 新型コロナウイルス感染症。この脅威はどこまでなのか。いつ終息するのか。そして、笑ったり、怒ったり、泣いたりする他愛の無い日常は、いつ戻ってくるのか。

 新型コロナウイルス感染症を甘く見てはいけない。

 教師という生業は、子どもがいて成り立つ。

 今、この瞬間を大事に思うことができる自分でありたい。

 以上3つ。あらためて書き表すと。とても当たり前で恥ずかしい。

 でも、この3つを身をもって理解していなかった自分への自戒をこめて。

(2020.04.13 2回目の臨時休校前日の夜 三浦 雅美)

 

 

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