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短編小説「仮面の道化師」上

――朝起きて、パジャマのままで歯を磨く。まだまだ冷たい廊下は着替えるより、このままの方が暖かくていい。朝食には決まって、真っ赤な苺ジャムをたっぷりつけたパン。本当はカリカリに焼いたところにマーガリンを塗るのが好きなのに、マーガリンは身体に悪いからと言って母は冷蔵庫にさえ置かせてくれない。バターも近頃はお高いらしいので、こちらもダメだ。それと、マーマレードも悪くないのに、苺ジャムしかストックしてくれない。仕方がないので、与えられたジャムを塗る。

 ホットミルクを飲む脇では、朝のニュースの合間に数秒の短い広告が流れている。
「自分だけの快適空間を創造するインテリア……。きみのスタイルを貫け! 一日を決める、爽快ワックス……。あなたの疲れはどこにある? 有効成分が浸透。現代人の味方、ドリンクX……。きみだけの未来が待っている。○○高等専門学校……」
 ――僕だけの空間を演出ってなんだろう。家具の組み合わせが人の性質の多様性? 髪型が似ている二人がいたら、中身までよく似ているのか? 僕は高校生なりに疲れていて現代人かもしれない。でも、人類はいつの時代も疲れていただろうに……。そして、ああ、僕が通う学校の生徒はみんな同じ青写真の産物となってしまうのか。
 どんなに日常のワンシーンを切り取ったところで、自分というものの片鱗は見えたりはしない。僕はどこにも、自分というものを見出せない。

 最近は毎日のように、早春の強い風を小さくなって避け、まだ半分眠りながら学校に向かう。そして学校では、歴史の授業中はそのまま寝るし、物理の怖い教師の前では胃をキリキリさせる。それだけの毎日だ。
 それでも皮肉なことに、僕なりのものというものはある。他人ならば誰でも彼でも、なにかその人の持つ魅力にとりつかれてしまう。友人たちは背が高かったり、言葉が巧みだったり、なにかのスポーツが得意だったり、あるいは、悪口や嘘やいじわるにあふれる人だったり……。何かしら特徴というものがあった。誰一人として、僕がうらやましがらない人はいない。
 とりわけ、男の僕からすると女の子のそういうところはもっと気になってくる。単に可愛いとか可愛くないというのはあまりに簡単すぎる見解で、本当はそれは、漆黒の髪の色艶や香りのためだったり、手芸のうまさだったり、お淑やかさだったり、距離感が近かったり遠かったりする絶妙さのなかにもある。逆に負けん気が強くて、ときに弱い男に平手打ちを食らわすような乱暴さにさえ、威厳というか、吸い込まれるような魅力を感じることだったりする。


 一方で、僕は自分自身には疎い。自分には何も特色や魅力というものを感じられない。もしかしたら、それはあまりに近すぎて見えないのかもしれないが、本当にないのかもしれない。けれど他人にひかれて観察するばかりの僕に、なにかあるとは思えない。みんなからしてみたら、ただの通りすがりみたいなものじゃないだろうか。
 自分という存在の軽さ。そんなことについて、僕は一人の、知恵ものだと思う友人に話してみた。


 すると僕の悩みに彼は笑い、こう答えた。
「そんなに周りの人間が魅力的なら、それでいいじゃないか。きみが無理して道化を演じたり頭がいい振りをする必要はない。だってここには、きみが認めるような魅力的だったり力強い人、面白い人がすでにいるんだから。無理になにかになろうとしても無意味だし、二番煎じが落ちだ」
 ――無理になにかになる……。彼は繰り返す会話のなかで何度かこの言葉を言ってくれた。
 なるほど、と僕は思った。確かに面白い奴が大勢いるところで僕が面白くなろうとしても、どうせトップにはなれない。マラソンでも短距離走でも、三日やそこらでは彼らの風を切る走りには及ばない。それに、何人もトップにはなれない。すると、二位や三位になり、強いことは間違いはないが、悩みが多い立場になってしまう。
 ――強い個性が必要なんだ。
 しかしどう転んだところで、みんなに感じるような魅力あるなにかにはなれないのだ、と彼に教えられた。僕には個性というものがないのだ。

それから程なくした休日のことだ。いくつかのスポーツ施設が隣接した大きい公園で、大道芸人たちの大会が行われる、と僕は話を聞いた。
 ――大道芸人たちであふれる。なんて魅力的なんだろう。
 僕は見に行くことに決めた。なんといっても、特技を持つ人たちに僕は強い羨望を持っていたから。
 天気は曇天、春から季節は逆戻りをして寒々しい風が吹き、もの悲しげなピエロが似合いそうな日だった。公園では入り口から奥の方まで、芝生を背にした石畳の上におおよそ等間隔で誰か立っている。大会というから、僕はてっきりどこか屋内でやるのかと思っていたのだけれど。どうやら大会は順位を決めるものではなかったらしい。
 僕は何人もの大道芸人を見ていったけれど、誰一人、驚きを感じない人はいなかった。ボールやなにかピンのようなものでジャグリングをしたり、それも玉乗りしながらだったり。広い場所を占拠して巨大な一輪車の上でやっている人もいた。わざと落としそうにしてみせたり、通行人を話術で引きつけて笑わせる人も何人もいた。
 大道芸人はみんな笑顔だった。なかには、集中しているせいかちょっと引きつり気味な人もいたけれど、見ている人を楽しませようと頑張っているのがわかるものだから、こちらも見入ってしまう。


 一人、とりわけ気になった人がいた。
 この人だけちょっと変わっていて、ボンボンのついたソフトな三角帽子と灰色と金色の市松模様のような衣装をした、完全にピエロそのものの男だった。一つ違うのは表情で、それが何より印象的だった。彼は仮面をつけていた。ごくシンプルに作られた仮面だった。
 ちょっと見ると、小さい子どもは引いてしまうかもしれない。そのとおりなのか、観衆に子どもは少なかった。けれど、この道化師の面白さはその仮面にあった。なにかの技が成功しているとき――たとえばジャグリングの技の合間にさらに器用に片手を動かして、瞬時に仮面を何枚かめくって別の仮面を見せた。仮面は何枚も重なっているようだった。そして成功したら得意げになり、失敗したら涙の仮面を見せ、さらに動作で表した。それらは言葉では一切、表現されなかった。
 最初のうちは仮面が何枚あるのかわからなかった。でも注意深く見ていくと、少なくとも笑っている仮面(これが一番多く出ていた)、苦笑いの仮面、トホホと泣いている仮面があった。
 ――彼は面白い!
 そう僕は思い、斜向かいに少し距離を取りながら、ずっと眺め始めた。

つづく

文藝MAGAZINE文戯3 2018 Spring 掲載

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