見出し画像

3:00 a.m.

元々その予定だったみたいに、バチっと目が覚めた。寝る前のモヤモヤは全部すっきり晴れていて、気持ちの良い目覚めだった。あまりに部屋が暗いので雨なのかと思いながら時計を見ると、浮かび上がった蛍光色の針はまだ午前3時である。

いつもなら一瞬で睡眠の世界に戻れるのに、バチっと目を開けてしまったので、そのまましばらく天井を見つめていた。眼鏡をかけていないので目が慣れても何も見えない。真っ暗だ。

その3時には、音がなかった。上の階からの足音も、車やバイクが通り過ぎる音も聞こえない。むしろシン、という音が聞こえそうな静けさだった。

夜の延長でこんな時間まで起きていたこともあるし、朝としてこんな時間に目覚ましをかけたこともある。

けれどこの瞬間の3時は、夜でも朝でもなかった。人がみんなどこかへ行ってしまった暗く静かな空間に、1人で漂っているような気がした。寝ぼけているのかもしれないし、まだ眠っているのかもしれない。

手探りで冷蔵庫へ向かい、お茶の入ったピッチャーを手に取る。暗やみのなかに突然充満した冷蔵庫の白い光と、喉を通る冷たい麦茶が、こんな時間をこじんまりと生きている自分を再確認させる。3時の世界を彷徨っていた自分をちゃんと捕まえたような気持ちになって、少し安堵しながら再び眠りにつく。

なのに。
太陽が昇って改めて起きると、自分がただ3時の夢を見ていただけのような気がしてしまうのはなぜだろう。朝方に降った雨の音とか、初めて読んだ本に感じた衝撃とか、覚えているのに忘れていくことが、あまりにも多すぎる。わかっているのに、遠のいてしまう。勿体ない。

現に私の頭のなかで、今日の3時の美しい静けさが霞のようになっていくのがわかる。だから消える前に残すのだ。あの麦茶の冷たさが本物だったことを残すのだ。

書くってそのためにあると思う。

#エッセイ #備忘録 #物書き #午前3時

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?