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【推し】大学生が語る、「アイドル」の魅力とは何か

今日、アイドル文化は日本に深く浸透しています。

テレビやネット番組、広告などでアイドルを見ない日はなく、文字通り人々にとって身近な存在になっています。

その経済効果は、非常に大きく、矢野経済研究所の「オタク」市場に関する調査によれば、その経済効果はコロナの影響を受けて一時的に縮小しているものの、以前はアニメに匹敵する規模だったことが分かります。


ところで、そのアイドルの魅力を明確に言語化することができる人はどれくらいいるでしょうか。

各グループの魅力を語ることは比較的容易に思う人も多いかもしれませんが、広義の「アイドル」の魅力となると、難易度がグッと上がるように思います。

この記事を書く目的は、頻繁にいただく「なぜアイドルが好きなのか?」という問いに対して、卒業前という機会に一度自分なりの言語化を試みることにあります。

ちなみに、僕は現在、6年ほどアイドル(主に乃木坂46)を推しています。

自分自身がヲタクという自覚はあまりありませんが、ぺろりん先生の著書『アイドルとヲタク大研究読本: アイドルにヲタクとの絆について聞いてみた』のヲタク分類に沿えば、「楽曲派」「箱推し」「評論家」あたりに該当します。

要は、客観的には明らかにヲタクなのだと思います。

以下では、僕が思うアイドルの魅力について、3つのキーワードを用いて解説します。


【1】 人間の「誰かを愛したい」という感情


巷には「愛されるための〇〇」など、誰かに「愛される」ことをテーマにした情報(本や記事等)が数多くあり、それは多くの人が関心を寄せるところであります。

僕自身、関心を寄せる1人として例外ではないです。

しかし、僕は2年ほど前に、1つの仮説を得ました。

それは、人間の「誰かを愛したい」感情は、「誰かに愛されたい」感情と同じ、またはそれ以上に強いのではないか、ということです。

例えば、恋人同士が破局した際、多くの場合人は「虚しさ」や「悲しみ」、あるいはそれらに似た感情を抱きます。

その深層心理は何か?

それは自分を愛する人がいなくなったことへの喪失感であると同時に、自分が愛する人(対象)がいなくなったことへの虚しさと捉えることもできるのではないでしょうか。

破局とは、恋人という関係性の終了と共に、相手が自分の愛を受容しない状態になることによって虚しさを発生させる現象である、と僕は考えています。

その意味でアイドルは、人間の「誰かを愛したい」感情を、ファンがアイドルを「推す」という関係性によって受容します。

また、「エンタメ経済圏」の研究者でありコンサルタントの中山淳雄さんは、「推し」の感情について次のように述べています。

この「推し」の感情は、結婚や出産といった「ゴール」を必要としない。

中山淳雄『推しエコノミー 「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』


したがって、アイドルとは、人間の本質的な感情と深い関係があると同時に、(ファンの)その感情の先に「ゴール」を必要としない(つまり、ヲタクとアイドルの関係性は、「推す」関係性以上でも以下でもない)ことによりバランスを保ち、本質的に意味のあるエンターテインメントを構築するプロエンターテイナーである、と考えることができます。


【2】 他者の応援を集めるプロフェッショナル


人間は完全な生き物ではないため、各々長所と短所があり、相互扶助が重要になります。

日本を代表する「デザイン思考」実践者である石川俊祐さんは、著書で次のように述べます。

「自分はこの分野のプロフェッショナルである」という看板を全員が持ってこそ、助け合いの文化は成立する

石川俊祐『HELLO, DESIGN 日本人とデザイン』


また、秋元康さんは田原総一朗さんとの共著において、AKBのメンバーに次のように伝えていたと言います。

歌も芝居も何でもできる人になりたいですっていうのは無理だ。一つの絞り込め。自分のなかに、これだけはという武器を見つけなさい

秋元康・田原総一朗『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術』


したがって、個の専門性の確立と相互扶助が重要だという原則は、アイドルにも当てはまり、その意味でアイドルと僕達は共通の命題を持つと言うことができます。

相補性を得るためには、前提として不完全な存在であり、その上で自分の強み弱みを開示し、他者の支援を獲得する必要があります。

アイドルは、その成長過程をファンと共有することにより、この課題を克服します。

太田省一さんは、著書において次のように述べています。

つい結果だけを見てしまいがちな私たちに、その時々の<過程>において、ひたむきで純粋な姿を見せてくれる存在、それがアイドルなのである。

太田省一『アイドル進化論: 南沙織から初音ミク、AKB48まで』


そして、その成長過程をファンと共有する場所が、例えば昨今人気を博すオーディション番組に該当します。

太田省一さんは、オーディション番組の構図について、次のように述べています。

愛着と批評という視聴者の二重の視線を実演してみせているようである。

同上


更に、西兼志さんは著書で次のように述べます。

成長していく姿を見せることが、<アイドル>にとっては不可欠な要素なわけです。

西兼志『アイドル/メディア論講義』


このようにして、ファンはオーディション番組やバラエティ番組という名の<プロセス>を通して、1人1人の個性を認知し、次第にアイドルグループをカラフルな共同体として認識するのです。

そして、アイドルにとってのオーディション番組やバラエティ番組は、僕たちにとってのnoteをはじめとする発信媒体と考えることができます。

したがって、他者の応援を集めるという点において、アイドルは正にプロフェッショナルであり、僕たちは発信について多くのことを学ぶことができるのです。


【3】 僕たちと同じ等身大の存在


僕は、アイドルは非常に等身大の存在だなと思います。

勿論、僕は数万人を前にパフォーマンスをした経験はありませんが、彼・彼女が抱える悩みは、僕達の悩みと非常に近いと思います。

例えば、普遍的な悩みの1つは、組織内におけるアイデンティの確立です。

初期のアイドルは松田聖子さんや山口百恵さんのように単独の活動も多かったですが、近年はAKB48や乃木坂46など、所属人数の多いアイドルグループも増加しています。

グループ内の人数が多くなれば多くなるほど、より自分の個性を尖らせ、他者と差別化する必要性が高くなることは明白です。

この状態は、学校や職場において、自分の価値や役割を常に探す僕たちと共通点があると思います。

僕は、アイドルを通して自分自身を客観視します。

そして何より、このアイドルの「等身大性」に気付き、アイドルのファンになりました。

再度、「アイドル」や「芸能界」と聞くと、自分達と一線を画す存在であると感じますが、実は極めて等身大の存在なのではないか、というのが僕の仮説です。

そして、この概念を「会いに行けるアイドル」の仕組みによって具現化したAKB48は本当に凄いなと思います。


最後に


1970〜1980年代を起源とし、今も尚発展し続けるアイドル文化。

「アイドル」や「文化」という抽象的な概念について、僕を含む一定割合の人は、物事や現象に論理を要求する傾向にあります。

実際、この記事を書くきっかけは、僕の友人がアイドルが好きな理由について論理を求めたことにあります。

この記事が読み手に新しい視点を共有し、友人、そしてアイドルにとってもポジティヴな意味を持つことを願っています。

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