違和感を持っているのは、自分だけではないかもしれない|運営メンバー 建石尚子
こんにちは。School Voice Project 運営メンバーの建石尚子です。
私は大学卒業後に中高一貫校の教員になり、5年間勤めた後に退職しました。それからフィンランドの学校で3ヶ月間インターンをして帰国。発達支援に携わる仕事を経て、現在はフリーライターとして教育業界を中心に活動しています。
私がこのプロジェクトに関わろうと思ったのは、教員としての経験が原点となっています。
学校教育のあり方と働き方に疑問を持った、教員時代
教育実習で生徒たちと関わる中で「人の変化を近くで感じることができる仕事」に魅力を感じた私は、それから教師になることを決めました。卒業後は、私立の中高一貫校での教員生活がスタート。
当時は教師になった先のことまで明確にイメージできていませんでしたが、実際になってみて気づいたのが、教師の影響力の大きさでした。
私が発する一言一言を、生徒たちは本当によく聞いていて、彼らは学校という社会のルールをどんどん吸収していきました。その影響力の大きさに、時に恐ろしさを感じることもありました。
彼らは、私たちが想像している以上に子どもらしく、私たちが想像している以上に大人びていました。人の話を純粋に受け止める素直さを持ち、同時に、どこか悟ったような、「反論しても無駄だから」と物事に対して諦めているような、そんな印象を持ちました。
学級担任を持ちながら5年間学校で過ごす中で、学校教育のあり方と教師の働き方には大きな疑問を持つようになりました。
定時を過ぎても学校に残ることは当たり前でしたし、土日に出勤することも珍しくありませんでした。昼食時間も生徒と一緒にいるので、休憩時間はもちろんありません。
私にとっては社会人として働いた初めての場所だったので、そんな環境に疑問は持ちませんでしたし、「教員だったらこれが普通なんだろうな」くらいに思っていました。けれど、あまりの忙しさに、体力的なつらさに加えて気持ちの余裕も徐々になくなっていくのを感じました。
周りには疲弊していく先生も多く、「こんなにも教師が疲れ切っていて、本当に生徒にとって良い教育ができるんだろうか…」と思うようになりました。
そして、教師の働き方以上に、学校教育のあり方には納得できないものが多くありました。習熟度別クラスも、成績のつけ方も、校則も、その多くが生徒のためではなく大人の都合で決めらていることのように思えました。生徒たちはそれらの決まりに従順でしたし、学校という社会に染まっていっていくようにも見えました。
私が教育実習で感じた「全員がとても大切な存在であること」そして、「一人ひとりが幸せに生きてくれたら私は幸せだということ」。教師になって数年たった当時、私は彼らにそれらのメッセージを伝えることができていないことに気がつきました。
それどころか、学力というものさしで彼らをランク付けし、彼らの自尊心を傷つけ、自分は不完全な人間だと思わせているようでした。
何かがおかしいという違和感を持ちつつ、学校の中にいると、その違和感さえも麻痺していく恐ろしさも同時に感じました。こんな教育はしたくない、と思っていたのに、気づいたら自分がそれをしているのです。
自分が大切にしたいことを見失った私は、一旦、学校現場から離れて、自分が学びたいことをとことん学び、別の世界をじっくりと見て、色んな立場を経験する時間が必要だと考えるようになりました。そうして、私は教師を辞める決断をしました。
インターン生として、フィンランドの学校で過ごした3ヶ月間
教師を辞めてからは、以前から関心のあったフィンランドの教育を実際に見てみたいと思い、現地の学校でインターンをすることにしました。
実際に、フィンランドの教育はとても魅力的でした。何が魅力的かって、「素晴らしい授業をしていること」や「充実したカリキュラムがあること」…ではなく、「どの教員もゆったりと仕事をして、休暇を思いきり楽しんでいること」でした。
良い教育をしたいという思いがあっても、教師が自分の私生活を犠牲にしてまでする教育は、「本当に生徒のためになっているのか?」という疑問を持っていた私は、何より教師の働き方に衝撃を受けました。
民間企業で働きながらも、公教育との関わり方を探る
フィンランドから帰国した私は、「一人ひとりに合った教育がしたい」という気持ちと「これまで経験したことがない“民間企業”で働いてみたい」という気持ちがあり、LITALICO(リタリコ)という会社に入社しました。そこで、発達に遅れや偏りのある子どもの発達支援に携わりました。
『障害は、人ではなく社会の側にある』という会社の考え方も好きで、この言葉は今も大切にしています。
職場の雰囲気もよく恵まれた環境だと感じていた一方で、「やっぱり公教育と関わる立場で仕事がしたい」という気持ちを捨てきれずにいました。もちろん公教育の現場だけでは教育は変えられないし、民間や地域の力だって必要です。
ただ、「日本の公教育には期待しない方がいい」「学校の先生は視野が狭い」そんな声を耳にするたびに、違和感を持ちました。公教育から離れた場所で、同じようなことを一緒になって言いたくはないなと思いました。
私自身の教員時代を振り返っても、一緒に働く先生たちは、情熱と愛情を持って子ども達と向き合っていました。
教師を辞めてから出会ってきた先生たちもそうです。それなのにどうして学校がこんなに大人も子どもも苦しくなってしまう場所になっているのか。私の中で、それが悔しい気持ちが強いのかもしれません。
私は、学校教育の課題は先生である「人」にあるのではなく、「仕組み」や「制度」にあると思っています。私一人が何かをしたところで、教育が変わるなんて少しも思っていないけれど、自分に何ができるのか?をずっと考えてきました。
現役教師へのインタビューを通じて見えた、先生の本音
そして2018年冬、もっと学校で働く大人たちの本音が聴きたいという気持ちから、会社員として働く傍ら「現役教師へのインタビュー」を企画し、自分のnoteで発信することにしました。
どの先生からも感じたのは、「子どもと共に過ごす時間が何より幸せで、子どもが幸せに生きていくことを一番に考えている」ということ。その中で、学校では理想的な教育をするにはさまざまな壁があることを話してくれる先生もいました。
インタビューとは違う場面でも教職員の方と話す機会があり、「納得していないけど割り切ってやっている」「仕方なくやっている」「本当はこんなことがしたい」と本音を耳にすることもありました。
そんな話を聞いて、違和感を持っていたのは私だけではなく、もしかしたら、思っていることを言えずに納得しないまま働いている教員は意外と多いのかもしれない。そんな風に思うようになりました。
このプロジェクトを全国に広げたい
1つの場所や仕事に限定せず、ご縁やタイミングを大切にしながら動いていきたいと思い、私は2021年からフリーランスとして仕事を始めました。
そんなときに、School Voice Project の発起人である武田緑さんからこのプロジェクトを立ち上げる話を聞きました。
まさに公教育の現場で働く方と関わりたいと思っていた私は、自分にできることでこのプロジェクトを全国に広げたいという気持ちで、運営に関わらせてもらうことに決めました。
私が抱いていた違和感を、学校で働く多くの教職員の方も感じていると思っています。そんな中でも戦い続ける大人たちを、私は応援したいし、応援というより、ともに戦いたいという気持ちでいます。戦う相手は、私たちがつくってきた学校の中にある常識です。
最近は、日本の学校教育はおかしいという意見をこれまで以上に聞くようになりました。違和感を持つ人が少しずつ増えていった先に、大きなムーブメントがあるのだと思います。それまであと少し。
一番大切なのは、今まさに教育を受けている子ども達が安心して学べる環境をつくっていくことです。彼らの利益を第一に考えることが、教育を変えていく上での大切な指針となるのです。
そこへ向かう道の一つとして、私自身ができることを精一杯やっていきます。
建石尚子(たていしなおこ)
1988年千葉県生まれ。大学卒業後、私立中高一貫校で5年間教員を勤める。その後はフィンランドの学校で3ヶ月間のインターンを経て、帰国後は株式会社LITALICOに入社。発達に遅れや偏りのある子どもとその家族の支援に携わる。2020年3月に神戸へ移住。児童発達支援・放課後デイの児童発達支援管理責任者を経験。現在は、教育業界を中心に、インタビュー・取材・執筆を行う。教育に関わるさまざまな生き方や働き方を、「書く」ことで発信したい。
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