見出し画像

出前までする人間植民地

贅沢が当たり前に成り下がっている。

昔はハレとケってのが明確に分かれていて
贅沢はハレの行為だった。
だから贅沢は贅沢だった。
贅沢は貴重だから、ありがたかった。

今は、贅沢が当たり前になりすぎて
ありがたみが薄れてる気がする

外食が当たり前になった。
よほどのことがない限り外食なんてしなかった

旅行が当たり前になった。
休みが多くなったこともあるだろうが、旅行が贅沢な行為ではなくなった
海外旅行なんて、あこがれであり夢であり、一生のうちに行けたらいいなあという扱いだった

飛行機に乗るのも夢だったのに
今は日常になった。

新幹線やら飛行機やらが発達したために
人がものすごく簡単に長距離移動するようになった。
電話で済む用件でも、出向いたほうが丁寧、誠意の見せ方、
といった意識で出張とかしている気がする

外車も当たり前に走っている。
タワーマンションも珍しくない。
これらは高嶺の花ではなく、がんばれば手が届く存在になった。
これらは人生の目標であり、勝ち組の脅迫であり、特別な存在ではなくなった

つまり、日本人は一昔前に比べて
とてつもなく贅沢になっている

なぜ贅沢になったかと言えば
かつての贅沢を今の当然やらなければならないこと、として
人々を惑わすことで、金を使わせることができる

誰かが金儲けするためには
庶民から金を巻き上げなければならず
庶民が「分不相応な贅沢」と思っているうちは
それらの行為をさせることができない

「分不相応」をとっぱらって
みんなが当然やるべき行動、当然買うべきもの、に仕立て上げれば
何を差し置いてもそれに金を払うようになる

貧しかろうが、ひもじかろうが、
とにかく、贅沢のまねごとをしなければならない
だって、それが「当たり前の生活」だと信じているから。

世の中に蔓延するラグジュアリー志向、贅沢主義
経済を回すために必要だといううしろめたさへの言い訳
実際には誰のための思い込みなの?

地方から人がどんどん東京に流れている。
東北地方では唯一、安泰だと思われていた仙台市ですら
人口減少に転じた。

東京にはラグジュアリーな生活が待っていて
それを謳歌すべきなだもの

東京発信の情報はすべて東京に金が集まる仕掛けでしかない
テレビも新聞も雑誌もネットも
それらに洗脳された田舎者はみんな東京を目指す

東京のタワーマンションに住んで
3つ星レストランで食事して
ポルシェで通勤する

会社はエアコン完備
年中快適
パソコンをパチパチたたいていれば
ガッパガッパとお金が入る

夜はプールサイドでパーティー
最高の女とベッドでドンペリニヨン

東京に行けば、そういう生活がまっていて
そういう生活をするのが、今の当たり前だと信じている

なぜ、そんな妄想が脳内に詰め込まれたのか

東京が儲けるため

田舎者を東京に集めれば
労働力と消費力を同時に充足できる
一石二鳥。濡れ手に粟。

飛んで火に入る人間植民地
ご丁寧に自分で出前する