「洪水」,

不可能を飛べる蜜蝋の翼、想像のイカロスの鏡、背理に

眼球の花秩序を秩序たらしめる紅き唇に 咀嚼音

天窓の闇を流るる星図かなこの矮星の揺り籠をこぎて

花の関立ち止るな腐蝕の季節枯れ遂せるものをうらやみ

潤へる窓に雨重なれるみづのはごろもさびて洪水の夢

降頻る鈍き雨粒今世界沈めて眠れとこしへに舟

箱舟はもはや降らず或る都市を沈めき匿名神の罰

砂漠の印象死の動物園みせもののをとこかつては苦悶せる夢に

植物に花粉の肉慾いかにかにものうるはしきいぶきせるかな

ソロモンの神殿水漬く真鍮の柘榴うめよふやせよとはいづれよりのこゑ

辰砂摩るさにも牡丹の丹のいろの毒なまめかしくも死せる青年

洪積世長き后睡に存在の黄昏迫るとも 興じゐよ

太陽戴冠コロナ眩暈の炎じくじくと炙りぬ ひとの腐敗に

黎明穹青藍に変ずつかのまを朝鳥の群横切れるなり

群島に朝日差すかな一夜洪水四十余日を数ふる長さを

ひとつの終り、皆辿り着く死のさきへ俟つ長き旅より暫し離れつ

帰途に薔薇隠して置きてきたりける詩人ありたり。死のみちすがら

早熟の孵化鶏卵に罅世界を破り出でて孵れよ

炎天の路傍、貨物車鉄路、分岐点、皆陽炎に炙られかすみ

籠の中雛鳥を閉ぢてゐた 朝たびだてるかつてをさなどり

群羊の燔祭ふたたびふたりとらはるるなき戒律よりの自立のために

えるされむ、火薬の匂ふ霊廟へ 砲火の絶ゑず降りそそぎ、降らしめ

あまねく軍旗カナン追放の色をして軍装の侭たつてゐる父

約束の土地を乞ふる黒人霊歌サキソフォンさへむせびなくまで

あらかじめ亡ぼされたるソドムより碧眼嬰児けふ出生す

焼夷弾 雨降りそそぎ燃ゆる窓炎は身の丈を超えてやまざり

憎しみのむかふ おはやふ 砂の濁流は打ち寄せ引きてぬちへ来るらし

いすらえる。嘘と騙しの児へきみの咎をわれらは憶えてゐるよ

はじまりは火付役たる少年のわづかな悪意 荒野炎ゆるかぜ

地球儀をふふむ火災にながあめの放水機 部屋に霞みぬみづのいとかな

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