見出し画像

「夫婦でビョーキですが、幸せになってもいいですか?」冬樹コギ丸著 を読んで

感想文集ー統合失調症をもつ人の著作を中心にー no.16



コギ丸さんは統合失調症と発達障害をもつ虐待サバイバー。
夫の暁さんにはうつ病と発達障害。
そんな二人が支え合う日々を描いたコミックエッセイです。

表題のとおり「ビョーキ同士の夫婦のあり方」を中心に描かれていますが、コギ丸さんが子ども時代に母親から受けた虐待の影響があちこちに顔をのぞかせます。
私自身が虐待サバイバーなのでそこを中心に読まずにはいられませんでした。
そして、虐待後遺症と統合失調症の両方に苦しむ人に読まれてほしい本だと思いました。


なんでキ〇ガイの行く病院に私もいかなくちゃいけないの? 心の病気!? 気持ち悪い!

第2章 (注:コギ丸の心療内科通院への同行を拒否する母の言葉)

私の母もこんなふうだったと思い出します。
何かを相談しても心配ではなく嫌悪や侮辱が返ってくる。
私の母は執拗な暴力をふるう人でしたが、それだけでなく言葉や態度でも子の心をいためつけました。

そんな母親像を人に理解してもらうのは難しく、私はずいぶん前に周囲に話すことをあきらめました。
だから本書の描写に少々フラッシュバックを起こしつつも、それよりずっと、代弁してもらえた心強さを感じました。


そんなコギ丸さんには統合失調症があり、症状である幻聴に苦しんでいます。
暁さんや友人の声で聞こえてくる罵詈雑言への対処は、私にはとりわけ印象的でした。

「この人はこんなことは言わない」
ただそれだけを頼りにしています
疑心暗鬼になったら通用しない対処法(中略)
本当にそういうことを言う人であるかないか すべてが自分だより

第5章

その人への信頼を根拠として幻聴を否定しておられます。

何が怖いって 妄想 幻視 幻聴だって思えなくなるくらい 見てしまう 聞いてしまう 現実感が怖いんだ

第1章

とあるように、幻聴はただの音声ではなく現実として心を揺さぶってくるもの。
それを「この人はこんなことは言わない」と否定するには、ゆるぎない信頼が必要でしょう。

再び私ごとに戻りますが…
私が人を信頼できるようになるまでには、紆余曲折だらけの長い道のりがありました。
幼少時に虐待を受けたことによって人への警戒心が高まるのはもちろんですが、私が最も警戒していたのは自分自身でした。
被虐待の結果として自身が抱えていた攻撃性などの悪い性質を忌み嫌い、その原因が虐待だと気づかず自己否定だけを徹底していた私は、「自分がこんなに悪い人間なのだから、私ほどではないにしても一般に人間は怖いものだ」と無意識に信じていました。

「悪である自分」を根拠とする人間不信には出口がなく、深い井戸の底にいるようでした。

私の経験をコギ丸さんに勝手に当てはめることはできません。
しかし虐待サバイバーであるコギ丸さんが人への信頼を根拠に幻聴を否定しておられる姿に触れるとき、そこに至るまでに人知れず重ねてこられたにちがいない苦労や努力を私は想像します。
暁さんと出会うまで、文字どおり死にそうになりながらも、なんとか生き延びてきたコギ丸さんの命の輝きを感じます。


冒頭に触れたように、本書は「ビョーキ同士の夫婦のあり方」を中心に構成されています。
パートナーである暁さんの存在はとても大きい。
支え合いかた、ケンカするとき、どうしてもダメなとき、二人の間で築かれてきたルール。
あまりにも真正面から向き合っている夫婦の日々の描写に圧倒されるばかりです。


その上でなお私は、夫婦というテーマにとどまらず、この本は虐待後遺症と統合失調症の両方があって苦しんでいる人に読まれてほしいと思います。

統合失調症は育ちのありように関わらず誰にでも降りかかってくる病気なので、関連書籍も支援者の助言も通常、虐待とは無関係です。
だから虐待後遺症を合併していると、自分のつらさはそれだけじゃないという違和感があるのではないでしょうか。
本書を読めば、その溝が少し埋まるかもしれません。


苦しい作業でもあったはずの創作に取り組まれた著者に、虐待サバイバーの一人として感謝します。


(追記)
作者の冬樹コギ丸さんがこの記事についてポストしてくださいました。
ありがとうございます。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?