見出し画像

「統合失調症の不思議」黒木淑子著 を読んで

感想文集ー統合失調症をもつ人の著作を中心にー no.6


「不思議なことが起こりすぎて、理屈では考えられないのが、統合失調症です」(14章)

この一文に集約されるように、著者は自らの統合失調症体験について、その不思議さを率直に克明に綴っておられます。

医学的には病気であっても、自ら体験すれば「不思議」と言い表すのがふさわしい。
それが実感というものでしょう。

おそらく多くの人が、患者として医療を活用しながらも、自身の経験を「脳の病気」の一言でまとめられると何かが取りこぼされているような感覚を抱くのではないでしょうか。


著者がどのような不思議を経験し、どう感じられたかはぜひ本文を読んでいただきたいのですが、その中には下記のように考えが変わるほどのものもあったようです。

「以前は霊など信じていなかったのですが、この病気になって信じるようになりました」(13章)

かといって医学や医療を否定する立場ではありません。
むしろ医療の利用を強く勧めておられます。

かつて経験した集団ストーカー体験を「今思うと完全に妄想です(2章)」と振り返り、薬で症状が軽快し薬をのまなければ調子を崩した経験から、次のように述べておられます。

「統合失調症を治すためには、医師の調合した薬をのみ、ゆっくりとした休養と睡眠をとることが必要不可欠だと思います。多くの医師が言うように、薬の医師の許可なしでの断薬は危険です」(1章)

「困ってる方は、超能力者云々と言っているより、医療機関を頼ったほうがいいと思います」(3章)


科学者の中に神を信じる人がまれではないのに似て(ここでいう神とはいわゆる宗教とは少しちがいます)、科学や医学を活用することと目に見えないものの存在を信じることは矛盾しません。

病気については医療を利用する。同時に不思議は不思議としてそのまま大切に扱う。
その両立ができるのはある種の強さだと、私には思えます。


さらに、医療や福祉に携わる人たちも、この「不思議」というありのままのとらえ方を知り、受け入れるとよいと私は思います。
それは医療の否定ではないからです。

専門職者が経験者の実感に寄り沿い、経験しなければ分からない何かに対する謙虚さや畏敬の念を失わないために、「不思議」は一つのキーワードになると思えます。


終わりに、いくつかの文章を紹介します。
傷つき苦しんだ日々をくぐりぬけた著者からの温かいメッセージです。

「人には、居心地のいい場所や安心できる場所、傷つけられない場所が必ずあります。そんな場所を見つけられることを願っています」(12章)

「10代後半から30代前半は辛かったので、今その年頃の子に、苦しんだ後には幸福が待っているよ、と伝えたい気持ちもあります」(14章)

「いっぱい苦しんだ人は、後々いっぱい幸せになることを願います。」(15章)



(追記)
黒木淑子さんがこの感想文についてツイートしてくださいました。
ありがとうございます。





この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?