trübe
ドイツ語に「trübe」という語があります。
ハイネがその詩集「Deutschland. Wintermärchen」の冒頭で、このtrübeという語を用いていますが、それにどなたかが「曇った」という訳語を充てていました。辞書を引けば「濁った、くすんだ」などと並び「曇った」と書かれていますから間違いではないのですが、そこから東京あたりの「曇り」を思い浮かべてしまうと、まるで話が違ってきます。
ドイツの人々が天気を「trübe」と形容する時、高層霧(Hochnebel)が一面に立ち込め、空が均一に真っ白になるのです。高層霧は概してムラなく厚く、そのため地上付近は朝から夕方のように暗くなります。この暗さは想像以上で、毎年11月がやって来るあたりから中欧や北欧に住む日本人の間で「冬季鬱」という言葉が口の端にのぼるようになります。実際、毎日のように続く暗さに耐えかねて、鬱状態に陥ってしまう人も少なくないそうです。
分厚く上空を覆った霧がほんのわずか、薄いベールのように地表付近まで降りてくる時もあります。そういう時は遠景がまるで夢の中の風景のようにボンヤリと霞むのです。こんな時に屋外で写真を撮ると、空は全くムラなく白く写ります。ここから「均一に白い空」を少し想像していただけるかもしれません。
この「trübe」と形容される天気は、日本語の「曇り」と異なり、一年中発生するわけではありません。11月から1月あたりまでの風物詩とも言える天気なのです。ですから、ドイツに長年住んでいる人は、ハイネが天気を「trübe」と形容した瞬間から、そのタイトルを見なくとも「ああ、これから始まる詩の舞台は冬なんだ」と察しがつくはずです。季節だけでなく、その寒さや暗さも合わせて思い浮かべるに違いありません。「trübe」とはそういう単語なのです。
ドイツに移住しドイツ語を学び始めてから、私は常にボンヤリとC1試験を「最終ゴール」として思い浮かべてきました。C1に合格すれば、私のドイツ語学習はひとまず終わるのだと考えてきました。去年、そのC1試験に合格したわけですが、最近、この試験は終わりなどでは全くないのだということが次第にわかってきました。ドイツ語の単語一つ一つの背後に潜む世界があることに気づいたからです。これから先は、日々の経験やそこから得た知識とドイツ語という言葉を丁寧に擦り合わせながら、さらに理解を深めていく必要があると思っています。結局、大人になってから学んだ外国語の学習に終わりはないのです。たぶん、自信を持って「ドイツ語できます」と言える日は、この先も私には来ないような気がします。学べば学ぶほど、不足している点に気付くからです。
言語は言語単独で習得するものではなく、その背景にある歴史や文化、慣習など、その言葉が公用語として話されている国や地域のありとあらゆるものも一緒に学んでいくべきものではないか。最近では、そんなことを考えています。「なんだよ、英語やドイツ語を何年も勉強しているくせに、今頃そんなことに気づいたのか!」と誰かに言われてしまいそうですが...。
後記
そして、また冬の季節が巡ってきました。今日も空は高層霧に覆われています。先に高層霧は概してムラなく厚いと書きましたが、今日の高層霧は若干薄いようです。こういう日には、また違った季節の風物詩に出会うことができます。Die weiße Sonne、白い太陽です。薄い霧に包まれた白い太陽が、まるで月のように上空に浮かぶのです。
夫は温暖化の影響でドイツの冬の寒さも最近ではかなり和らいでいるといいますが、それでもまだ、東京では経験できない美しい自然現象を経験することができます。確かに面倒なことも少なくないのですが、それでもドイツの冬は私が最も好きな季節です。そういえば、上述したハイネに加え、シューベルト(彼はオーストリア人ですが)も冬を題材にした美しい作品を残しています。ゲーテも太陽が輝く眩いイタリアを旅した時、ふと、霧に覆われたドイツを懐かしんでいます。暗く寒い冬に惹きつけられる人は、昔も今も少なくないのかもしれません。
(この記事は、2023年1月26日にブログに投稿した記事に後記を書き加えた上で、転載したものです。)