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【ハーバード社会学者の発見】私たちは知らない人の方を信用している?

こんにちは、scherzです。


本文は次の記事を参考に書かれています。太字や見出しは筆者の勝手でつけられています。


みなさんは、自分の最もパーソナルな情報—仕事、恋愛、健康などなど―について誰に話しますか?誰を最も信頼できる話相手だと認識していますか?


パートナーでしょうか?友人でしょうか?親でしょうか?


では、少し質問を変えましょう。


一番最近(パンデミック前で)、信用してパーソナルな情報を話したのは誰でしょう?

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ハーバード大学の社会学者マリオ・ルイス・スモール氏は2017年出版の "Someone to Talk To"という本の中で、次の事実を発見しました。


人々は身近にいる人を信用していると答えた一方で、一番最近、心配事をシェアした相手は実にランダムでした。それは、飛行機で会った人やヘアドレッサー、待合室での知らない人などです。


1790年、アダム・スミスは本当の共感というのは本当の友人からのみ生じうるもので、単なる隣人から生じるものではないと言いました。


スモール氏の研究はそれをひっくり返しました。


人々が本当に信頼している人は、偶然出会った人なのです。

この説明が事実なら、次のことが示唆されます。


リモートで働いている人々は、日常生活で偶然に誰かと出会う機会を失っています。


スモール氏いわく、「本当に困っている人々は、信頼できる友人の名前を3、4人あげることのできない人ではなく、日常生活で誰とも会わない人なのです」。


他の心理学研究によれば、スターバックスのバリスタとの短い会話であっても、それが人びとのムードを改善し、帰属意識を向上させるとのこと。


では、なぜ心配事—健康、人間関係、仕事、子供のこと―を話すときに身近な人を避けるのでしょうか?

スモール氏によると、理由は3つあるそうです。


1.最も身近な関係というのは、最も複雑な関係でもあるから。

配偶者というのは、友人であり、ともに親であり、恋人であり、ある場合には同僚です。


癒しが必要なとき、どの役割を果たせばいいのでしょうか?よくわかりません。


母親、あるいは父親という役割はある種の会話において、避けたい対象になりうるのです。


だから、私たちは誰か知らない人を信用するのです。


2.何か困難な状況にあるとき、総じて、私たちをよく知っている人よりもむしろその経験をした人を信用したくなるから。

「偶然の共感」を求めているのです。


スモール氏が言うには、彼の父親が亡くなった同じ日に彼の娘が生まれたそうです。彼はこれと似たような体験をした人と話したくなりましたが、その人は彼に近い人物である必要はなかったのです。


3.傷ついたとき、必要なのはセルフ・プロテクトではなく話すことだから

合理的な人というのは、何かをする前にいったん立ち止まって考えます。

しかし、現実はそうではありません。

つまり、人間は注意深くなるように、そして自分で自分を守るという、恒常的でかたい意志を持ち合わせているという考えは、端的にいって誤りなのです。


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たしかに、身近な人よりも、何も知らない無関係な人の方がいろいろ話しやすいような気はしますねー。私もそんな経験があります。


しかし、エレベーターとか待合室とかで偶然出会った人となかなかそんな話しないですねー。日本にいるとあまりピンと来ない気がします。


オーストラリアにいたときは、しょっちゅう知らない人と話してましたが笑

エレベーターやエスカレーターで偶然居合わせた人、何かのオリエンテーションで隣の席になったドイツ人とかいい人だったなー…


ただ日本でも、バーとか飲み屋の店員さんとかも偶然出会う人なので、その人たちを身近な人よりも信頼できる悩みごとの相談相手としている人は一定数いらっしゃるのではないか、と推察いたしております。


参考文献



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