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25

突然だが、明日で私は25歳になる。四半世紀生きてしまった。
24歳残り1時間、なぜか思いを徒然書いていこうかなと思い至ったのである。

24歳。私にとって大きな一年であった。というのも23歳の誕生日は顧客対応に追われ社会の世知辛さを痛感してしまった日であった。ちなみに泣きながら無理してデリバリーした海鮮丼を食べた。

こういう背景もあり、24歳の誕生日は何としても平和に過ごすというのが目標になった。
無事、何もないバースデーを迎えることができた。

ハッピーバースデー己である。

でも、同時に誕生日なんてこんなもんかとも思っていた。誰に言っても「ブラック企業」の羅烙印を押されてしまうようなド・ブラック企業に勤めていて、会社への失望がだんだんと社会や自分への失望になってしまった。
というか、会社が悪いのか、社会が悪いのか、はたまた自分が悪いのか、全くわからなくなってしまっていた。全てを混同していたし、全てに失望していた。

それから3ヶ月。2月には休職を申し出る。
そこまで病状は重くないけれど、重くなりすぎないために休んだ。
今思えばこの時も十分抑うつだった。

適応障害を理由に4月から休職をした。
同僚や先輩は途端に冷たくなった。まあ元々いい人たちではなかったけれど。

休職をしてまず、一気に鬱が強くなった。
「あれ、なんで休んでるのに家事ができないの?ベットから動けないの?」
自分の無能さを恨んだし、周りには無理やり明るく接した。

休職中は本当にしんどかった。
体調の面もそうだが、お金の面でも。
傷病手当は後払いだった。調べる余裕もなく、自分が死なないために休むしかなかったから場当たり的に行動してしまった。治療費もたくさんかかったし、診断書も書いてもらわなきゃだったし。
なんのために休んでるのかわからなかった。

休職中には難聴の手術も受けた。7月のことだった。初めての入院。初めての全身麻酔。初めての手術。全て怖かったけれど、ご時世で見舞いは来れなかった。心細かったな。

でもお陰で左耳が聞こえるようになった。皆さんにとっては当たり前だろうが、左で電話をとれるようになったし、左耳だけイヤフォンをつけてもしっかり音が聞こえる。
いまだに感動する。

今年の猛暑はエアコンの効いた部屋で引きこもりっぱなしだった。
命を消費している感覚だった。

ようやく動けるような気がして、転職活動をした。
そして現職に巡り合った。

とっても良い環境で、人がよく本当に面倒見がよい。
リーダーがリーダーらしい。きっと指導方針は褒めて伸ばすだ。

新しい仕事をしていて、余裕ができて、恋人もできた。
誠実でかわいい人。将来を一緒に考えられる人。

本気で自死を選ぼうとしていた23歳。治療に苦しんだ24歳。
自分と向き合う2年間だった

25歳の1年くらい、思いっきり幸せになりたい。
親孝行もしたい。2022の目標はまだ半分くらい叶えられていない。
自分のありのままを認めてくれる人たちに囲まれて、幸せな誕生日にできるんだろうな。

久しぶりに誕生日が楽しみだ。

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