見出し画像

推し農家さんを見つけて、人生をもっと楽しく

娘の離乳食を見守っていて、「食べることは生きること」という意識がさらに強くなったように思う。理由は色々あるが、乳を吸うばかりだった娘が、「たべる」という行為を習得する過程は、まさに人生のように山あり谷あり、波瀾万丈だ。まだうまく食べられないのに、自分でスプーンを使って食べたくて癇癪を起こしたり、食べられる食材が少しずつ増えて、あれは嫌だ、これがいいと、全身を使って伝えてきたりする。掴み食べが上手になり、食べこぼしが減ってきたと思ったらスプーンに移行してレベル0ゼロにもどった。そして次はきっと箸レベル0ゼロからのスタートが待っている。

人生も、同じように試行錯誤の連続で、小さな頃は、親や学校の先生が成功体験を積ませてくれて、よく導いてくれる。食べる練習をするように、人生のさまざまなイベントを乗り越える練習をする。歳を重ねるに連れて、直面する課題や試練はどんどん大きくなる。

だからこそ、最初の一口が大切なんじゃないかな。一口目が美味しいと、次も食べたいと思う。最初の一歩が楽しいと、もっと踏み出してみたくなる。

娘の前に並ぶ離乳食は、大概ドロッとしていて、正直、美味しくなそうだった。娘が、この世界の豊かな食を感じるにはどうすればよいのか。辿り着いた答えが、食べたいものを、自由に見て、触って、匂って、食べられること、だった。

ここからわたしの「推し農かつ」が始まる。農家さんの直売所には、安全性に特に気をつけて栽培された野菜が多く並んでいる。そんな野菜を、丸ごと洗って、蒸して、娘の前に並べる。

今まで、みじん切りにされた人参しか知らなかった娘が、ヒョロリと細長い採れたての人参をつかんで、楽しそうに触る。柔らかな歯茎で、土の香りのする人参にかぶりつき、ツヤツヤのトマトをおいしそうにすすっていた。

生きることに無気力な人が、人生を耕せないように、食べ物に関心のない人もまた、人生の土壌を豊かにすることは難しい。食に無関心な人が増えると、食は面白みのないものに変わっていってしまう。食の判断基準が価格だけになり、手間をかけて新鮮で、安全で、美味しいものを作ろう、という人が減ってしまうから。

安全で質の良い野菜に、自分の一票を、娘の将来を投じる気持ちで推し農かつをしている。娘の生きる、これからの未来が、より豊かであってほしい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?