台所の記憶とフライパンでさつまいもケーキ
バターでカリッと焼かれたさつまいもに、はちみつと生クリームのソースがた〜っぷりかかっている。
バター
生クリーム
はちみつ
さつまいもに掛け合わせるべきスリートップがそろい踏み。
昔よく食べたさつまいもケーキの味が唐突に頭をよぎって、記憶を頼りに作ってみることにした。祖母がよく作ったさつまいもケーキだった。
生クリームとはちみつのソースがとくにお気に入りで、オーブンではなくフライパンで焼いていた。
卵はメレンゲにした記憶はないので共立てのスポンジ。それぐらいしか覚えていなかったが、意外にも、それらしくできあがるものである。
台所の記憶
なれなかったもの、
あるはいこころを満たすもの
しばらく離れていた実家に戻ってきたからだろうか。祖父に晩御飯を用意しているからだろうか。最近、父方の祖母の作った味をぽつぽつと思い出す。
玉ねぎが入った妙に甘いチャーハン
茶色い焦げ目がついた甘い卵焼き
青梗菜のマーマレード炒め
全体的に甘いのだ。
一度祖母の用意する晩御飯を拒んでからは、祖母が死ぬまで拒み続けた。
わたしの台所の記憶は小学校低学年からはじまる。
食卓になれなかったダイニングテーブル。
誰の晩ごはんにもなれなかった玉ねぎ入りの冷めたチャーハン。
祖母のつくるおかずが嫌で、自分で料理をするようになったのが小学3、4年のころだったと思う。とにかくチャーハンをよく作っていた気がする。というか、小学3年生の自分には煮物とか、汁物をうまくつくる技量はなかった。
そのころのチャーハンの具材といえば、にんじん、玉ねぎ、ウィンナーと、炒り卵で、今では絶対に選ばない組み合わせだが、祖母がそうして作っていたのだ。
祖母の料理が嫌いと言いつつ、結局自分の料理の根底には祖母の作った料理がある。
最後まで祖母の料理は好きになれなかったが、つまるところ、わたしが料理をするようになったのも、お菓子を作るようになったのも祖母のおかげだった。
祖母の料理を拒むようになるずっと前、祖母はよくケーキを焼いてくれた。
小さめのフライパンで焼く、栗入りのチョコレートケーキ、最後にかけるはちみつ生クリームが最高に美味しいさつまいもケーキ。祖母のレパートリーはその2つしかなかったが、幼いわたしはすっかり虜になった。
焼きたてケーキの、素朴で柔らかく温かい甘さが自分のこころを満たしてれたことをよくよく覚えている。
そしていつの間にか台所に漂う甘い香りが大好きになった。いったん立ち込めるとなかなか消えず、その空間はたしかに幸福感に満ちている。
わたしにそうであったように、温かな甘さは大切な人のこころを癒してくれるはずだという絶対的な信頼がある。
だれかと温かいものを食べたい。
当時のハングリー精神が、今でもわたしの料理やお菓子作りの原動力になっている。誰かの食べたいが嬉しい。一緒に食べられたらもっと嬉しい。
好きになれなかった祖母の料理、家族と囲うことのできなかったダイニングテーブル、食べてもらうことのできなかった晩御飯。
なれなかったものたちが、いまは温もりをもってわたしと家族の心を満たしている。
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