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福島発の「復興論」と、「復興」からの当事者排除の構造③-考察と結論-

これまでの記事では、福島県を代表する「復興」論と、浜通りを代表する「復興」論、そして避難元自治体である富岡町からの避難者による「復興」論を取り上げ、比較しました。今回は最後に、考察と結論について述べたいと思います。

1)考察

 福島県内の論者であっても、彼らが「福島の復興」や「浜通りの復興」を唱えるとき、それは「日本の復興」や「東北の復興」を目指す政府の方針と密接に関係しているというのは、これまでの記事で述べてきた通りです。(福島復興政策について、詳しくはリンク先の論文、「原発事故後の統治と被災者の〈生〉」をご覧ください)


 その理由のひとつとして、原発事故の被害を福島全体で薄めてしまうと、 その被害は「風評被害」だったということになってしまうという点を指摘しました。


 また、政策が「風評払拭」を掲げ、 「日本」「東北」「福島」「浜通り」という単位での復興政策を打ち出すほど、開沼による福島の復興論や、小松による浜通りの復興論が強化されていきます。


 むしろこれは、開沼や小松による言説の存在が、国の復興政策の正当性を示し、国の復興政策を支えるという「共犯関係」ともいうべき状態ではないかと考えます。


 開沼や小松が展開する「復興」論は、原発事故の被害を「実害」だと考える人々を分断し、あるいは無視して展開されるものでした。彼らが分断しようとしたのはインターネット上 に潜む「デマを流す人」だったのかもしれませんが、彼らは実体のないゴーストのような 「風評を流す論敵」を排除しようと議論を構築する上で、原発事故で「実害」を被る当事者をも分断・排除してしまったのです。


 原発事故で原発のもっとも近くにいて、避難をさせられ、被ばくさせられ、人生を剥奪された富岡町民は、浜通りの市民の1人でもあるし、福島県の県民でもあり、ゴーストではなく生身の人間です。


 そのような人々の避難や被害を語らずに「復興」ばかりを語ることが、結果として原発事故での経験や、今もなお続く不安や苦悩を分断し、排除しているにもかかわらず、 多数派の視点で「復興しましたね」と喜んでいることに疑問は感じないのでしょうか。


 これと同じことは国の政策でも起きています。避難者を分断し、選別し、排除する論理は、政策側からも、福島を代表する「復興」言説側からも、呼応するように出現しているのです。


 そのような状況に対して、避難当事者の市村は「ふつうの人生」に戻りたいだけだと主張しています 。

『闘う被災者』っていう表現をしたのは、俺たちもふつうの人間だってことを理解してほしいってだけなんだよ。事故の前までふつうの人生だった。そのふつうの状態にただ戻りたいってだけだ。『闘う被災者』の闘いは、ふつうであるための闘いなんだよ。(山下・市村 [2013]2016)

 開沼が認識するような「マイノリティ」として支援を求めているわけではなく、市村は 「ふつう」を取り戻したいという主張のために、両者の議論はかみ合いません。「ふつう」であるために 「闘う被災者」として闘おうとすればするほど、市村らが指摘する「こわい被災者」にされてしまいます。「こわい被災者」のイメージは、インターネット上にもいる「こわい」存在としてのデマ・風評とも結びつきます。

2)結論

 避難者・被害者の当事者性に基づく復興には生活のすべての回復、そして長期間の視点、多様な視点が必要です。被害を分断し選別するのではなく、被害を包摂し乗り越えるような議論が必要です。


 そのためには、避難や被害の当事者性と向き合うことが必要であるし、何が風評なのかは精査する必要がありますが、「風評を流す人」の存在についても、ただ糾弾し切り捨てるだけではなく、真摯に議論しなければならないのかもしれません。


 そもそも、風評被害対策というに視点に立ったとしても、風評被害も元はと言えば原発事故による避難・被害から生じる被害だということを考慮すれば、風評被害からの福島の「復興」を考える際に、避難・被害の当事者性は不可欠であり、現在のように避難・被害の当事者を排除する「復興」論は、いつまでも「真の復興」には到達しないと言えます。


 以上、本稿では、政策と福島県内の「復興」言説の共犯関係を明らかにした上で、その両者によって避難や被災の当事者が「復興」から排除されることについて、明らかにし、まとめました。


2021年4月10日 宮本楓美子

【編集からのコメント】


 今回は、宮本さんより修士論文の一部をNOTE用に編集し、分かりやすく表現を修正したり説明をさらに加えたりしていただきました。私も宮本さんと共に考えて作業を行い、リンクで共有されている政府文書の分析の論文を書いたこともあり、色々と改めて考えさせられました。以下では、私からの考察、コメントを記したいと思います。


① 開沼氏や小松氏の言説は、加害被害関係が関わるきわめてポリティカルな被害の議論を風評という領域にすり替えることで脱色する特徴をもっています。当事者とは誰で、何を指すのか、そのカテゴリーや境界は政策(「統治」や「主権権力」)によって決定されてしまうものです(いわゆる「線引き」)。さらにその一方で、避難や被害の当事者は排除されていながら、やはり当事者でもあり続けることになります。これを代表するのが、市村さんから発せられた議論になります。


② 三者の復興言説はいずれも、主権権力を直接的に代弁するものではない。そのはずでしたが、開沼や小松の言説が「福島県内/外」を当事者カテゴリーの境界に据えたことで、「風評被害の払拭」という点において特に政府の復興・安全イデオロギーとの奇妙な「共犯性」のようなものが生まれている、ということかと思います。このイデオロギーは、論文でも指摘しましたが、実害としての被害や非常事態を収束させられていない政府の責任を、矮小化させる機能をもっているのではないでしょうか。


③ さらに、これは2011年当初から現在までの10年のプロセスにおいて、不変だったかというとそうでもないと思います。要は可変的で、移り変わっているのではないかということです。私もきちんと理解できてはいないかもしれませんが、11年当初から順に市村→開沼→小松、という当事者性の変容(と同時に当事者の排除)が生じていて、それは政府の復興政策の示す方向性とも関連し合っているのではないかと思います。


④ 結局のところ、災害や公害などの非常事態において本質的なのは、どれほどの被害が生じているのかを適切に把握し(ようとし)、それを拡大させないためにはどうしたらよいのかを模索することができるかだと思います。このとき、コロナにせよ原発にせよ、安全も危険も、リスクも不安も、正体が見えていない状況で「こうすれば問題は解決だ!」と喧伝することは、かえって統治能力の無能さのようなものを露呈するだけでしょうし、自然的なものに対する政治や社会の思い上がりとも言えるのではないでしょうか。


⑤ なるほど「避難当事者・被害当事者」はこの震災・原発事故という非常事態・例外状態における「自然的なもの」と「社会・政治」の境界線をさまよい、境界線を構成する主体であるがゆえに、この存在(剥き出しの生)が政治の対象になるのと同時に排除の対象ともなるわけですね。ホモ・サケルの最終節(7「近代的なもののノモスとしての収容所」)の、「境界線」の記載にもありましたが、この原発避難問題と照らし合わせて考えれば、自分は無関係だ、安全だと思いたい〈人民〉および統治・政治と、その中で排除されようが構わない存在である「人民」との二つの人民が存在する、という風にも読めそうですね。


「人民」という語の政治的な意味を解釈するときは、つねに、ある特異な事実から出発しなければならない。それは、近代ヨーロッパ諸語においてはこの語がつねに、貧民、恵まれぬもの、排除された者をも指している、という事実である。つまり、同じ一つの語が、構成的な政治主体を名指すと同時に、権利上はともあれ事実上は、政治から排除されている階級をも名指している。(ジョルジョ・アガンベン、2003、『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』、p240)


⑥ 長くなってしまいましたが、重要なのは「当事者の気持ち」ということ以上に、「当事者が排除されることの政治的社会的意味」を考えることが、非常事態をいかに収束させるのかという統治のあり方を考えることにつながるのだと思います。平たく言えば、当事者を排除することなく社会問題を社会や政治全体の問題として解決する必要がある、ということです。ある当事者、人びとを排除しただけで問題が解決されたとするのは、ただ単に問題から目を逸らしただけのことと何ら変わりはない、と。コロナも原発問題も、シンプルに考えればそういうことなのではないでしょうか。


 (このページについて、他の原発問題に関係する記事や批評の紹介にあたっては、こちらの記事をご覧ください。)

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