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7年後のファッションショーと10年後のオオサンショウウオ

※岸田奈美さん主催の「キナリ杯」へ応募したエッセイです

「何? そのダサい服。一緒に歩きたくないんだけど」高校1年生のとき。同じクラスの女の子と初めて私服で遊ぶことになって、待ち合わせて3秒で私は「ダサい」の刻印を押された。思春期真っ只中の私は苦笑いを浮かべて傷つくしかなく、それから7年もの間「ダサい」ことが大きなコンプレックスになった。

「ダサい」と言われた悔しさから、私とおしゃれの戦いが始まった。それまで、太っていることを気にして黒い服ばかり着ていたので、赤や青に緑の明るい色、花柄、チェック、ボーダーやドットの柄ものを取り入れた。一気にクローゼットが賑やかになって、そのぶん組み合わせはちぐはぐになることが多かった。

服を買いに行く服が決められず途方に暮れることもしばしばで、おしゃれの神様が「これがあなたに一番似合う服で、一番美しく、可愛く、チャーミングに見えますよ」と服を授けてくれるなら、一生それに従いたかった。

そもそも「おしゃれ」って、なんだろうか。
改めて辞書を引くと「髪形・化粧・服装など身なりに気を配ること」と書いてある。では、おしゃれな服装とは、どういうものだろう。

ぱっと頭に浮かんだだけでも、流行や季節に合っているか、サイズや素材、色や柄にブランド、似合っているかなど、要素が沢山あって基準も曖昧だ。例えば、友達と遊ぶとき、好きな人からデートに誘われたとき。クローゼットや鏡の前で、何十分、あるいは何時間も悩んでしまう人は多いんじゃないか。

高校2年生になってクラス替えがあり、気になっていた男の子からデートに誘われた。自分なりに頭を悩ませたが、どの服を着てもしっくりこず、着ては脱いで脱いでは着て、汗だくになり追い詰められた私は、お年玉を下ろし店頭に並ぶマネキンの服装をそっくり真似することにした。白いシフォンブラウスに、カーキ色のジャケット、当時の流行だったバルーンスカート、レースの靴下、銀のパンプス。自分では決して選ばないような、シンプルなものばかりだった。

試着室で着替えると、そこには「街でよく見かける女の子」の姿があった。「ブラウスがシンプルなので、じゃらじゃらしたアクセサリーを合わせると可愛いですね!」という店員さんの笑顔に素直に従って、原色の小石がいくつも連なったようなネックレスを買った。

それはどんな宝石よりも輝いて見えて、デート当日は好きな男の子にも「制服より可愛いじゃん」と言われ、飛び上がるほど嬉しかった。けれど、自分のセンスを誤魔化しているようで、褒められる嬉しさと同じくらい、居心地の悪さも感じてしまった。我ながら、面倒くさい人間だと思う。

高校を卒業して大学生になり、制服から私服の毎日になってからは、変わったデザインや派手な色を着ることが増えた。古着やブランドに詳しいおしゃれな友達から「ダサい」と思われたくなくて、目立つ個性で武装をしていたのかもしれない。

青いチェックのシャツに花柄のパーカーを羽織って「目がチカチカする」と言われ、パッチワーク風のスカートを着れば「布の見本市か!」とツッコまれる。赤いボーダーのブラウスを黒いカーディガンで悪目立ちさせて「くいだおれ太郎?」と呆れられる始末だった。

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友達はみんな優しかったが、黒ぶち眼鏡で姿勢の悪い私の見た目や、自虐的なキャラクターも影響して、服装をイジられることは多かった。友達と買物に行っても、何がおしゃれで何がダサいのか判断できずパニックになってしまい、最後にはお腹が痛くなり帰ったことがある。かわいそうに。

そんな毎日だったので、友達2人がシェアハウスをする一軒家へ遊びに行ったとき、私は思い切って「ダサい」と言われた過去のコンプレックスを打ち明けた。私の深刻な語り口で「そんなに悩んでると思わなかった!」と最初は驚かれたが、真剣にあれこれとアドバイスをくれた。

「似合う服と好きな服は違うから、難しいよね」
「顔が派手だから、柄より無地の方が似合うんじゃない?」
「柄がないと落ち着かないなら、ストールや小物で遊んでみるとか」
「モノトーンとか、柄と柄を繋ぐ接着剤みたいな服も要るよね」
「一枚高い服があると違うよ。他が安い服でもキマるし」

おしゃれの神様、こんなに身近なところにいた!!と私は衝撃を受けながら、矢継ぎ早に出る金言を必死でメモに書き留めた。
そのうちに、実際の服でやった方が分かりやすいねと、急遽私のファッションショーが開かれることになった。彼女たちの服を私の顔立ちや体型に合わせて、次々と着せ替えてくれたのだ。別の部屋にあった一眼レフのカメラがテキパキと用意され、写真をその場で見ながら確認しあった。

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「やっぱり無地のほうが似合う。柄物は下半身に持って来たらいいんだよ」
「小さい柄よりは、ちょっと目立つ柄が似合うかも」
「太腿が太いのが嫌なら、スカートの丈は膝か足首までがいいよ」
「靴はこれ履いて!ヒールがあると脚が綺麗に見えるから」

見る見る変化していく私に友達のテンションも上がっていき、おだてられた私はストリートスナップ風のポーズをキメた。大はしゃぎだ。
「この写真とか、もうおしゃれな人じゃん」「別人だよ!」と掛けられた言葉が、泣きそうなほど嬉しかった。ちょっと涙目になった。実際、鏡の前の自分はそれまでと違って自信に満ち溢れて、生まれて初めて「おしゃれって楽しい!!」と心の底から思えた、特別な一日だった。

その日から私は、少しずつ自分のファッションを見直すようになる。友達と一緒に買い物へ行き(お腹は痛くならなくなった)、コーディネートの本を何冊も読んだ。柄を抑え、モノトーンの洋服を増やす。シンプルなネックレスにストール。鞄は何にでも合わせやすい黒か茶色。靴は上品に見えるヒール。「靴が決まれば大丈夫」という意味も、ようやく実感できた。 

……と、この体験を経てすっかり「おしゃれになった」ように書いたが、3年後に行った旅行先で2回目のファッションショーが開催された。全員が現地集合で落ち合う予定なのに、寝坊して30分以上も遅刻した挙げ句、豹柄のパンツで現れたからだ。

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私を見るなり「オオサンショウウオ!!」と叫び、その場に崩れるように爆笑する友達、呆然とする私。彼女は水族館で働いていた。
寝坊した焦りで適当に引っ掴んだ上下の服は「その辺にあったから着た」だけで、おしゃれになる組み合わせではなかった。少し勇気を出して買ったヒョウ柄は、旅行中ずっと「オオサンショウウオ柄」と呼ばれた。

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その日の夜は互いの服を持ち寄って「オオサンショウウオパンツ」を生かすファッションショーをした。旅館の和室と掛け軸に映えるオオサンショウウオは、この旅のなかでも屈指の思い出だ

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「おしゃれの神様」のような友達に恵まれ、2回目のファッションショーから5年が経ったいま、服に対する苦手意識はかなり減ったけれど「おしゃれ」への道のりは、まだまだ遠い。変な柄を選んだり変な組み合わせをしてしまうことは、これから先もきっとあるはずだ。

けれど、そんな自分を笑って「自分らしい」と受け入れることが、私と「おしゃれ」の和解なのだと思う。服を「ダサい」と言われたコンプレックスは、7年後のファッションショーと10年後のオオサンショウウオの大いなる前フリだったのだ。この2つのできごとは、未来の私をいつだって明るく照らしてくれるだろう。

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