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立春の覚え書き(西山珠生)

2年半ぶりに舞台に立ちます。

 2年半の間には人並みに色々なことがあって、脚本を書いたり、単位を落としたり、人と知り合ったり、あるいは離れたり、朝に怯えたり、無敵感に酔いしれたり、直に24歳になります。

 この脚本を書き始めたという4年前から、きっと彼にも色々なことがあったと思います。高橋敏文が東京に置き土産として残していくのはたぶん、大学時代の呪いが詰まったプリザーブドフラワーみたいなものです。
 1年前に高橋敏文を私の芝居に役者として呼びました。今度は彼が作/演出として自身の稽古場を生きているのを見ています。役者の立場で嗅ぐ稽古場の匂いは演出として嗅ぐ時とは何か違います。今作品では宣伝美術もやっていますからさらに別の匂いも漂っています。ベリーショートだった髪はこの公演に向けて首を隠すくらいまで伸びました。舞台という約束されたまやかしのために私の一部が成形されていくのは奇妙だなあと思います。いやあ舞台って何でしょうね。ちなみに来年度は卒論を書かなきゃいけないのです、そのせいで最近は頭がぐるぐるしっぱなしです。とりあえずお芝居でもやるしかないですね。

 稽古は始まったばかり、キャラクターたちはこれからどんどん呼吸していくのでしょう。ネタバレしてはいけないと言われたので、内容についてはあまり語れません。呪縛を逃れようとする人たちの話とでも言いましょうか。しかし時代は1997年(これはチラシに書いてあったので大丈夫ですね)、もうすぐ世界は滅亡するかもしれません。役者である生きた人間、私はまだこの世にいませんでした。つまり人類は滅亡しなかったのですが、21世紀も4分の1がもうすぐ終わろうという今なお、高橋敏文は彼自身見たことのない20世紀を終わらせようと頑張っているわけです。ふと気になって調べたところ、駒場小空間は駒場寮が廃寮となる流れのなか、97年に着工されたらしいです。小空間もまた、寮や駒場小劇場の怨念を纏っているのかもしれません。

 私たちには月と華という主題が突然与えられました。どうやらそれが20世紀を終わらせる鍵なのです。何やらはっきりわかりませんが、2023年度終了間際の駒場小空間で明らかになることでしょう。



コロナ禍の打ち捨てられかけた駒小


華に関する雑文として

 作品は『月華世紀末狂騒曲』と題されているから、華が、花ではなく華なのは、そんなに不思議なことではありません。けれどもやはり字の違いは確かに存在の違いにつながります。もともと、はなという言葉は「華」が基本で「花」は遅くに生まれた字だといいます。花という漢字からは実際の植物の花とか美しい人とか、場の盛り上がりとかが思い浮かびます。華はどうなのか。華やかさ、栄華のとき、煌びやかで優れたもの、月華といえば月の光のことも指します。華という言葉に、私はいずれ過ぎ去ってしまうもの、捉えどころのないもの、そのはかなさそのものを想起します。華は大きな力であって、見る者を屈服させる強さでもありますが、ともすればすぐに失われる危うさをはらんでいます。華は、はなやかに咲き誇ると同時に常に死を、枯れた姿を内に抱いていて、目を凝らせばその周りに無数の蕾や枝葉や、しぼんだ花弁が見えるでしょう。その危うさこそ華が華である理由なのかもしれません。人が永遠の華を、手に入らないと知りながら求め続ける理由なのかもしれません。

 そんなことを考えていて、いつか『風姿花伝』について聞いたことを思い出しました。世阿弥は、年老いた父・観阿弥が舞うなかに、盛りの演者とは対照的な真の花を見たといいます。若い時分の美しさはそれだけで目を捉えられるけれど、円熟した者はそれまでの経験を体現して舞に吹き込むことができるのだと。栄華が去って衰えた姿、老いた存在のなかに見出される美があります。でもそれも、太陽と月、華の輝きがあればこそ存在する陰としての美といえるかもしれません。

いつの間にか足元もおぼつかないところまで彷徨いでていたようです。そろそろ戻れなくなってしまいそうなのでほどほどにしておきましょう。

 前回の稽古場日記に、花瓶で枯れた花の記憶が語られていました。私もひとつ、忘れられないイメージがあります。誕生日にもらった花束に入っていた薔薇の枝を花瓶に飾っていたときのことです。もともと咲いていた花たちが茶色に乾いたあと、遅れて芽吹いた瑞々しい緑色の蕾が伸び、花を咲かせました。そんな魔法のようなすべすべした花びらは数日のうちに枯れました。私が家を留守にして水を足さなかったから。自分の中の何かが死んだような喪失をまだ呼び起こせます。思うにあれは、予兆でもあったのです。そんなスピリチュアルなことを考えてみます。

でもそれも過ぎ去ったことです。枯れた兄弟の間に咲いた末っ子と、彼女がしなびて生暖かくなった景色を私はいつまで覚えていられるでしょうか。



花瓶で芽吹いた薔薇の花


 本当に散らかってきたので、最後にはるか昔に書いた花についての一節を引用してお茶を濁しておきましょう。ちなみに黄色い薔薇の花言葉には、「友情」「献身」「愛の告白」などに加えて「嫉妬」「薄らぐ愛」もあるのだそうです。

「花を名付け、花に重ね、花をうらやみ花をおそれ、花に魅入られ、救われて、花がために狂い、殺される。花を摘みとるその瞬間、あの不思議な高揚感を思う。罪悪感を思う。……」

 

3月28-30日は、月華にとらわれた(かもしれない)世紀末の駒場小空間にぜひおいでください。お待ちしています。

 

赤松法子・律子 役 西山珠生

 

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