すぐ隣にある孤独
何かに夢中になることは、もしかすると苦しいことなのかもしれない。周囲の情報が入ってこなくなり、それでいて四六時中監視されているような、謳歌できない孤独。解放からは最も遠い精神状態だ。
YouTubeに、作業用BGMを流し続けるだけのライブ配信がある。どの時間帯でも数万人の視聴者がいる。映像はヘッドホンをつけた女の子が書き物をするアニメーションで、時間帯によって窓の外の景色が朝になったり夜になったりする (あとときどき猫が歩いてきて、かわいい)。彼女も背景で流れるBGMをそのヘッドホンで聴きながら作業しているのだろう。
これは音楽配信というより、世界規模で孤独を共有するためのコンテンツなのだと思う。私は何かを聴きながらでは本を読んだり物を書いたりできないので、ちょっとうらやましい。高校でも大学でも、秒針と換気扇の音だけが響く空き教室が私の作業場だった。演劇という芸術に出逢うまで、集団で創作をしたことがなかった。そして最近ようやく、この孤独を誰かと分かち合っても良いんだ、と少しずつ思えるようになってきたのだけど、自分の心の殻がなかなか破れない。
華について
実家で、犬を飼っている。あの子にも華がある。そこにいるだけで家族みんなが幸せで、だからほとんど無条件で愛されている。その華は生まれ持ったもので、後天的な何かで代替できるものではないだろう。
犬は自分に華があることを自覚していない。そこがまた良い。人間も、自分に華があると自覚して行動するとあまり良く思われない。華はあくまでも客観的な指標で、自分でコントロールすることはできない。
華がある人間が、いつも周りに何人かいる。彼らに対して嫉妬してしまうことが多くて、その度に無い物ねだりをする自分に嫌になってしまう。本当は幸せなことなのにね。
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