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有名なのに酷評の嵐なのはナゼ!?『ブレアウィッチプロジェクト』という映画をどう評価するかでその人の「映画観」がわかる!【フェイクドキュメンタリーを止めるな!】


めちゃくちゃです。ボロボロです。ガッタガタです。


何がって?1999年に公開された超有名作『ブレアウィッチプロジェクト』のことですよ。その映像クオリティのことです。

なにせ、カメラはグラグラ常にブレてるし、何か事件が起きてるシーンでも映像は見当違いな方向に向いてしまうし、画像は粗いし、そもそも「つなぎ」が全部おかしいw

よって、当時から言われたものでした。

この映画は、映画会社の宣伝の仕方がすべてであって、中身としては究極の駄作なのだ。

よって、この映画を見に行って「なんじゃこれ金返せ」と怒った人こそ普通で、「ブレアウィッチプロジェクトはおもしろい」と言っている奴はバカだと。

ふむふむ、なるほど、そうかもしれませんね、なるほどね。

・・・ところで、私は「ブレアウィッチプロジェクトはおもしろい」と思ってる人ですが何か?w

このままバカ扱いされて枯れていくのも寂しい。そこで、、、「なぜ私はこの映画がおもしろい」と主張しているのか、語らせてください!

ただし、この記事を最後まで読んだ方は、「たとえブレアウィッチプロジェクトが好きな人」とも、私の意見が少し違っていると感じちゃうかもしれません。というのも、私はこの映画を「フェイクドキュメンタリーとして面白い」と思っているので、意外なことかもしれませんが、この映画を「考察好きのための一種のミステリー映画であり」すなわち「オカルト映画では『ない』」と解釈したからなのです!

「え?ブレアウィッチがオカルトではない?なんだよ、このヤシロっていうウサギ顔の奴は、ブレアウィッチプロジェクト擁護派かと思ったら、けっきょくバカにしているんじゃねえのか?」と怒らないで・・・どうか最後まで話を聞いてくださいませ・・・

まずは、そもそも『ブレアウィッチプロジェクト』ってどんな映画だったかのおさらいから!未見の方も多いと思うのでネタバレはないように整理します!

『ブレアウィッチプロジェクト』とは、1999年に公開され、超低予算で製作されたのに世界的なヒットを記録した、という映画史上においてもひとつの珍品。魔女伝説が伝わる森でドキュメンタリー映画撮影のためにキャンプしていた三人の若者が恐ろしい体験をする・・・その若者たちが撮影したビデオテープが森の中で発見されたものを、映画館で公開することになった、という「フェイク」ドキュメンタリーです。

※続編に『ブレアウィッチ』というややこしい題名のものがあるけど、

第一作を台無しにしているところがある凡作なので、この続編のことはいったん無視してください。もっとも、作りがめちゃくちゃヘタクソなはずの第一作が世界的にヒットし、格段に映像技術も巧く予算もついている続編が、なぜ話題にものぼらない駄作扱いなのか・・・その理由を比較するのはおもしろい考察になりますw

で、話を1999年の第一作に戻しますと、

映画会社が大掛かりに宣伝をし、かつフェイクドキュメンタリーという手法も当時はまだ斬新だったために、大ヒットしたものの、

実際に映画館に足を運んだ人の中には、「退屈で、意味不明で、まったく金の無駄だった」というアンチの方が大量に現れ、25年経った今でも

『ブレアウィッチプロジェクト』といえば、宣伝に騙された映画の筆頭?

・・・としてさんざん名前があげられる結果となったのでした。

しかし、どうしてこうもたくさんのアンチを生み出したのか?アンチの方々のレビューをいくつか読んで、その理由を私なりに整理してみると・・・

1:編集もカメラワークもぐちゃぐちゃでガタガタでひどかった
2:けっきょくオチがよくわからないまま終わって消化不良
3:偉そうな映画評論家達が「これぞ新しいホラーだ」とヨイショしすぎていたのが気持ち悪くムカついた(w)
4:モンスターも幽霊も出てこない、三人の登場人物が「うわー」「きゃー」と悲鳴をあげて逃げ惑うばかりで画面には特に何の怪異も映らない

そんなところですかね。これはいちいち、ごもっとも。

しかし!!

私の感想では、上記の四つを「ごもっとも」と認めた上で、しかし、『ブレアウィッチプロジェクト』はおもしろい、と思った!

ひとつひとつに、私の異論反論をあげてみましょう。

1:編集もカメラワークもぐちゃぐちゃでガタガタでひどかった

↑その通りではあるのですが、重要なことは、この映画の「フェイク」の前提が、「森の中で怪異に遭遇した三人の若者が手持ちのカメラで撮った主観映像」でした。とすると、よく考えてください・・・「突然の怪現象に遭遇した若者たちが手持ちのカメラでその場で撮影した映像が、構図もぐちゃぐちゃ、手振れも多く、ピンポケも多発で、画像の鮮度も荒いのは、むしろ当然」じゃないですか?

よくよく考えると、この後に大量生産されたさまざまな「フェイクドキュメンタリー」の主観映像が、いちいち構図もキッチリしていて、手ぶれもなくて、ピントも合っていて、鮮度もよくて、何よりも常にばっちりなところでカメラのスイッチが入り続けているほうが不自然なはず・・・

となると意外や意外。撮影技術や編集がぐちゃぐちゃなまま映画館にかけられた『ブレアウィッチプロジェクト』こそが、

後続のどんな映画よりも真面目に「フェイクドキュメンタリー」を正しくやっていることになるのです(よしんば、それが超低予算だったための、図らずもの「ケガの功名」だったとしても)!

これと同じことが、二番目の論点についても、言えます。

2:けっきょくオチがよくわからないまま終わって消化不良

↑そりゃそうだ。これは、「ナニモノのしわざかわからないまま」に怪異に翻弄された若者が手元のカメラでとっさにとった映像なんだもの。主人公が死んだにせよ、拉致されたにせよ、なんにせよ、「結果の映像」が残っていちゃ、本当はおかしいですよね?

言われてみると、これを何とかするために、後続の多くのフェイクドキュメンタリー作品は、「最後にたまたま、別角度の監視カメラがあって、主人公が死ぬ瞬間をとらえていました」とか、「主人公が恐怖のあまり手から落としたカメラが、たまたまバッチリな角度で、主人公が死ぬ瞬間の全身像を撮影してくれていました」とか、かなり強引なことをやっている。

それに比べて『ブレアウィッチプロジェクト』のいざぎよさ!ラストは肝心なところが何も映っていない、突然のぶった切れ映像。大真面目に「フェイクドキュメンタリー」をやるなら、ラストは本来、こうなるのがむしろ自然では?その後のたくさんの後続作品にあるキレイにラストシーンが入っている「行方不明者が遺した謎のビデオ映像」のほうが、論理的に考えるとおかしくないですか・・・w

三番目の論点である、

3:偉そうな映画評論家達が「これぞ新しいホラーだ」とヨイショしすぎていたのが気持ち悪くムカついた(w)

↑・・・については・・・それはまぁ、たしかに、そうかもしれない。映画評論家というても、映画会社の意向を入れて評価を決めている人もいるでしょうからね。悪いとは言わない。それもプロの世界だ。

4:モンスターも幽霊も出てこない、三人の登場人物が「うわー」「きゃー」と悲鳴をあげて逃げ惑うばかりで画面には特に何の怪異も映らない

↑そしてこの論点。これこそ、「ホラーだと思って見たのに」「オカルトだと思って見たのに」という人たちから上がった怒りの声。思わせぶりな声がしたり、テントが叩かれたりするものの、モンスターも幽霊も出てこないじゃないか!というもの。

ここですよ。おそらく映画会社の宣伝のせいでもあったのですが、恐らく見に行った人たちとこの映画のポジションの間に誤解が出ていた。まぁ、ここからは私の意見も入っちゃいますが、

私の考えでは、『ブレアウィッチプロジェクト』は、広い意味の「怖い映画」であって、ホラーとかオカルトとかのジャンル分けには限定されない。この映画の大事なところなのですが、よく見てください、最後まで、起きていた現象が本当に怪異の類なのか、明言もされていなかったでしょう?この映画、事件はモンスターのせいでも、幽霊のせいでもなく、森に誰か変質者がいてそれが襲ってきていたという可能性も残してあるし、その他、いろいろな可能性が残っている。

「いったい、ブレアウィッチなるモンスターが本当にいたのか?それとも誰か人間による犯罪だったのか?あるいは、この三人は妄想に憑りつかれていて、実は何も起きていなかったのに三人がパニックで自滅したのか?真実は見た人が映像の端々から考察してください」、という「考察系」の映画なのだと思います!

そう考えると、「モンスターも幽霊も画面に映らない!」と怒っている場合じゃない。製作者の意図として、そんなものは「映しちゃいけない」映画だったのです(※これも、もちろん、製作者が計算尽くしでやっていたことというよりは、調低予算ゆえのケガの功名だったかもしれないのですが)

となると、私の意見、すっきりしてきて、

『ブレアウィッチプロジェクト』がおもしろいのは、後続のいかなる「フェイクドキュメンタリー」よりも、オオマジメに、「森の中で突然異常事態に遭遇した人が手持ちのカメラでパニックになりながら撮影した、という設定をちゃんとやっている」という点。シロウトがパニックになりながら撮った映像が、クオリティがめちゃくちゃだったり、肝心のモノ(怪異の正体)を映せていなかったりするのは、むしろフェイクドキュメンタリーの設定上、自然なのでは、と思わせてくれることです。

だいいち、『ブレアウィッチプロジェクト』では、ずっとカメラが回っているわけではないのですよ。夕方のシーンで途切れて、次に突然、朝になって、「昨日の夜にブキミな音がしたけど、あの時、カメラを回しておけばよかった」なんて悔しがっているシーンもありますよね。普通のフェイクドキュメンタリーだったら、ちゃんと、発生する事件はすべてカメラで映すところですよね。

ところが『ブレアウィッチプロジェクト』は、「カメラを回し忘れていたが、さっきも怪現象があったんだ、撮影しておけばよかったー!」なんてことも起きているんです。フェイクドキュメンタリーとしてこの上なく正しいのでは?多くのフェイクドキュメンタリーを見た人がどうしても感じてしまう、「なんで、事件が起こるたびに都合よくカメラのスイッチも毎回、入っているのだろう?」に、明確に回答を用意しているんです。「重要な事件が起きていたが、そのときはカメラが回っていなかった!」という展開も当然のように発生する映画・・・でもこのほうがフェイクドキュメンタリーとしては「設定に忠実」と思いませんか?

もちろん、これらすべてが、低予算ゆえのケガの功名にすぎない、とも、言えます。

ですが、だからといって、『ブレアウィッチプロジェクト』が悪い映画、ともならない、と私は思う。

おそらく、ここで、その人の「映画観」が、ばっくりと二つに分かれてしまうかもしれませんけどね。

もしかしたらこの映画の賛否派は、音楽でいう「クラシック」VS「ロック」?

つまり、

「映画とは、プロフェッショナルな技術の塊を見せてくれる場であり、最低限の映画撮影のお作法すら守っていないものは、そもそも映画館で金をとる資格もないのだ!」

と考える人(音楽で喩えるならば、クラシック音楽派)にとっては、『ブレアウィッチプロジェクト』にお金を払ったことは許せない不満となり、

「映画とは、テクニックもお金も持っていないパッと出のアマチュアでも、さまざまな偶然が重なって多くの人の指示を得て、金銭的にも大成功する奇跡がたまに発生し得る、柔軟で夢のある世界だ」

と考える人(音楽で喩えるならば、(古きよき)ロック派)にとっては、『ブレアウィッチプロジェクト』にお金を払うことに、特に不満はないでしょう。

私?もちろん後者ですよ。それゆえ、この『ブレアウィッチプロジェクト』も『パラノーマルアクティビティ』も高く評価しましたし、満足しております。

そして付け加えるならば、私のような「フェイクドキュメンタリー」という形式にそもそも興味を持っている人間にとっては、『ブレアウィッチプロジェクト』は「オオマジメなフェイクドキュメンタリー」として、今後もさまざまなことを考えさせてくれる金字塔でしょう。

だって、この続編にあたる『ブレアウィッチ』のほうを観て、それからこの第一作を見返してみてくださいよ、続編のほうは、ちゃんとモンスターも映るし、幽霊も出てくるし、人が残酷な死に方をするデスシーンもきちんとカメラがばっちりな構図でとらえていますが、そうなるといかに「ウソくせえw」という感想以外に出てこない凡作に落ちていることか!

第一作『ブレアウィッチプロジェクト』は、繰り返しますが「よしんば超低予算であるがゆえのケガの功名だったとしても」、粗い演技、粗雑な撮影道具、ぐちゃぐちゃでボロボロでガタガタの撮影編集テクニック、というものが、逆説的に「いかにもシロウトが怪現象の中でパニックになりながら手元のカメラを振り回して撮った映像らしい!」というリアリティを獲得することに成功している。やはり、映画史の偶然が生んだ、奇蹟の逸品であり。この映画のクリエイターが金銭的に儲かったことについて、私は特に悪い事とは思えないのでした。映画作りにも、こういう奇跡が起こりうるという、夢がなくちゃ、やっぱりねえ、、、!

最後に私自身の『ブレアウィッチプロジェクト』の考察を語りましょう

先述した通り、『ブレアウィッチプロジェクト』の面白さのひとつは、

いろいろな事件が起こるが、それを起こしている原因(モンスター?幽霊?人間?)がけっきょく映像に映らないため、さまざまな考察をそそる、という点にありました。

私自身も、ひとつ、考察していることがあります。

身も蓋もない考察なのですが、、、起きた現象や映像を見ていて、私自身は、これしか考えられない、と思う。

つまり、この映画、「魔女が実在する」と考えるから、いろいろと細かいところがおかしくなる。もう一度、起きたことを整理すると、変な音がしたり、謎の手形があったり、そういう意外に物理的な現象ばかり。

やはり私個人としては、この森で起こった事件は、人間のシワザと考えます。となると、そもそも、インタビューをしていた「まちのひとたち」が全員、なんか怪しくないですか?町にもともと、重大な秘密があって、それを探られそうになったので集団で殺した・・・そう考えると、私は主人公の一人、マイクがどうも怪しいと思う。最初の方でヘザーが「あなたがマイクよね?はじめまして」と自己紹介しているのを見ると、そもそもこの撮影チームに加わる前はヘザーとも面識がなかった相手。そして、森の中で遭難をするたびに、マイクがどんどん事態を悪化させていき、さらにマイクが先頭を歩いている時にかぎって、道に迷ったり、さらに森の奥にいってしまったり、どんどん遭難の度合いが深まるのも、理解できる。

というわけで、『ブレアウィッチプロジェクト』をオカルト系の映画ととらえている人には不興を買う意見かもしれませんが、

私の考察は、「実は人間集団による犯罪、マイクは共犯者」です。

そしてこの私の考察によれば、ブレアウィッチなどというモンスターは最初から、いなかった。

「でも、続編の『ブレアウィッチ』のほうには、堂々とすんごいモンスターが出てきて大暴れしてたじゃん?」って?

ハイ、そうなんです。あの続編が出たせいで私がせっかく整合性をつけた考察は台無しになったのです・・・ともあれ、私も負けてはいない、続編の『ブレアウィッチ』についてのレビューも、いずれ、このnote上でやりたいと思います。そのとき、第一作と続編との間に横たわる多大なる矛盾についてもなんとか考察しよう・・・無理かもしれんけど・・・ていうか恨み節になりますが、まったく誰だよあのぶちこわしな続編を作ったヤツはw


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!