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そうか、、、もしかして私が子供の時からずうっと「読書好き」を続けてこられたのは、

たまに見つかる「アブない本」が大好きだから、だったのか

、、、ということに気づいたのは昨夜の以下のつぶやきを投稿した後のこと

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映画や漫画やゲームやアニメなど、いくらでも楽しいものがある現代で、どうして私はずうっと活字本を愛し続けていられるのか?

それがついにわかったぞ、「思想」というものは、やはり映像や音楽ではなく、文章で伝えるしかない。だから「本」の形になるしかない。

そして普通、「思想が説かれている本」というと、いかにもお勉強の為に読む退屈な本と思われるだろうが、

映画や漫画やアニメに「設定がぶっ飛んでる怪作」があるように、思想が説かれている本にも、「最初からぶっ飛んでいるアブない本」があるのです。

そして「アブない思想」というものを読んでいる時の「これヤバいんじゃないか!ドキドキ!」と緊張してしまう感覚は、これは、どんなホラー映画や恐怖漫画も敵わない、スリル満点なのです。だってアブない本は私を洗脳して私の心を書き換えようとしてくるんだからねw

とはいえ、、、

気づいてみれば、私は、「暴力革命」や「極端な政治主張」を振りかざす意味での、「危険な思想本」は嫌いです。政治とか、宗教とかの、「危険思想書」は、、、そのう、「笑えない」危なさですからね、、、。

そうではなくて、単に、「アブない」本のことです。「イケない」ことが書かれている本のことです。まあ言ってしまえば、私の好みでズラリ並べれば、

バタイユとかコリン・ウィルソンとかニーチェとかアントナン・アルトーらのことです。ね、アブない人たちでしょう?もっと炎上覚悟で言うなら、私の「アブない読書」の射程圏には、中沢新一やカルロス・カスタネダも入ってる。「きゃー、アブなーい!!」、、、はい、そう言われる覚悟でこういうものは読んでいます。

しかしですねえ、、、

私にとって、読書の最高の楽しみは、こういう「アブない」本をドキドキしながら読む時にあり、なのですよ。このドキドキは、映画にも漫画にもアニメにも出せない。

それに、私が言う「アブない本」というのは、もし本気で感化されてしまったところで、社会的な実害は案外少ないような気もする。

たとえばコリン・ウィルソンでいえば、『超越意識の探求』あたりにのめりこんだところで、神秘体験を得てみたいと瞑想趣味に走ったりする程度とも言える。まあコリン・ウィルソンの場合、「精神世界で至高体験を得るには性のエネルギーが必要だから、恥ずかしがらず、頭の中でえっちな空想を楽しもう!だいいち、目の前に異性を連れてこなくとも、空想の中でお手軽に性的満足を得られるなんて、人類が猿から進化したときの最大の進化ポイントといえるじゃないか」みたいな、突拍子もない(しかしよく聞くとあながち間違っているとも思えないw)ことを言うのでドキッとするが、よくよく考えれば、政治的な意味での「危険思想の本」に比べて、彼ら「アブない本」の著者達は突飛なことを考えているだけでプラグマティックなレベルでは人畜無害な存在ともいえる、、、そういうところは、「アブない本」というのは、意外に安全な趣味かもしれんのだ。

で、そんな本ばかりを好んで生きてきた私、

今日のこの記事がまさにそうなっているように、『アブない本の選び方・読み方』みたいなことを、ネットの目立たないところでコッソリと記事にして、同好の読書好きを増やしていくような人でありたいと思うものなのですが、

私がnoteに時々アップする「夢日記」も、たまにめちゃくちゃアブない夢の話をしているので、人によっては私もまたすでに「アブない人」認定されているのかもしれない。。。もしそうなら、せめて、「アブない、けど、面白い!」人として認知されたい。あ、それ、そもそも一番難しい、超絶バランス感覚の必要なポジションかもしれないけど、、、。

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!