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デジタルフレンドシップ世代の進化論

 幼少期に家庭で形成された人間関係から学校機関に行く事で交友関係を広げ、小中高を経て節目に散り散りになり、大人になり社会に出てさらに薄く広い人間関係が形成されていく。そして今や、過去に散り散りになった交友関係はFacebookやTwitter、LINEなどのSNSを通して再集結したり、また新しい出会いが生まれている。人によっては、リアルフレンドよりもデジタルフレンドの方が多いというのも、珍しく無いのではないだろうか。

 SNSはプラットフォームの進化に伴い、人間の体験を拡張させている。それはMMORPGで与えられる共通タスク(同じ目標に向かって同じ時間を共有し達成感を享受する)であったり、VRで与えられる没入感とここではないどこかで自分がいるとう認識(錯覚)であったりする。リアルで友達を増やすよりもデジタルは加速度が段違いである。さらに言うなら、リアルではなかなか得にくい親友や恋人という関係性でさえ、デジタルの方が容易であったりする。相方や婚姻に近いような契約を交わすカップルもいるほどだ。

 デジタル空間においては、テキストやボイスなどの視聴覚によって人間関係を醸成しなければならない。その2つの感覚をもってして「おや、もしかして怒っているのかな?体調良くないのかな?調子悪そうだな」なんてことを思ったりするのだ。むしろそういうことをうまく感じ取れない人は、デジタルフレンドシップにおいては淘汰されかねない。いわゆる自分さえ良ければいいという人間は、どこのコミュニティにおいても嫌われるものだ。自分の発言が相手にどんな影響を与えるのかを考え続けることにより、人間は更なる視聴覚の進化を辿る。今後さらにデジタルネイチャー世代が時代を圧巻していく未来が見えそうだ。

 いつも思っていることだが、ゲームはもはやコミュニティコンテンツになっていると言える。予め用意されたコンテンツが終わっても、そこにいるプレイヤーとの交流を楽しみに毎日INしている人はたくさんいる。いわゆる「私ここで生活しています」というユーザのことだ。もはやゲームをプレイしているという感覚はないのかもしれない。デジタルフレンドの関係で楽しい時間を過ごすことができなければ、下手すると自分の居場所がなくなりかねない......なんてことを危惧するような時代に、もう足を踏み入れているのではないだろうか。

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