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202402_night walk watering
2月の日記だが、もう4月である。時が過ぎるの早い。
2月の時点でしか持っていない記憶でできるだけ書いているが、ここに書いてあることやこうなるといいなみたいな願望のものはすでに結果が出ていたりするので、なんというか再放送なのに初放映みたいな感じである(?)。
億劫
月に1回はまとめて日記なるものを書こうと思って、まだ二ヶ月目だが、早くも書くのが億劫になってしまった。
億劫になってしまったというよりは、なんというか書けなかったというか、このnoteの更新画面までこれなかったということで、良い言葉が思い浮かばなかったとか、そういうことではまったくないので、ただただこのnoteを更新する場所にたどり着けなかったということで、課題が終わらないとかそういうことではなく、そもそも学校にいけなかったみたいなことで、そういうふうに考えてみると、まずは学校にいこうみたいなことである。(どういうことでしょう。)
まぁでも、こういうのは気合を入れて書こうと思うと中々かけなくて、気合を入れずに、ルールだから書くというくらいの気軽さでやっていこうというのは大事ですね。あとは、まとめてかくというよりは、なんとなくこんなこと書こうかなを月の途中でも少しづつ書いていくようなスタイルも良さそうだなと思ってきた。
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2月のハイライト:いまここにないけど、ありそうなものから立ち上げること
今月のハイライトしては、潜在意識の中から集めた断片をまとめて行く際の束ね方について
先月の気付きとしては、自分が作りたい物語の輪郭を掴むための手段として、自分の中にあるイメージの断片を前後のつながりなどを考えずにとにかくどんどん出していく。それをある程度やった後に、その中に筋や語りを見出していくことがどうやらよさそうだということだった。
今回撮った短編のプロットは、職場のデスク・帰りの電車・最寄りのカフェで頭の中に出てくるイメージを一気に書き出した。20-30ほどのシーンを入れ替えたり、書き換えたりしてつくったもので、その中で、あー今の自分はこういうのをつくりたいのかもしれない。こういうものができるといいだろうなというものが見えてきた感覚があった。
それでいわゆるプロットみたいなものが見えてきたので、それをシナリオに仕上げた。ただできたプロットについて、フィードバックをもらうと、すこしわかりにくかったり、そもそもドラマ・劇として描かれてる要素が弱いなどとコメントとしてもらい、確かにそうだな〜となった。
なんというか物語の筋や主人公の物語としてどうドラマを描いていくのかという部分は未だに中々踏み込めずにいる。
劇的な展開が物語としての魅力であるし、話しの筋がわかりにくいとそもそも見ていてわからない・伝わらないというのは確かにあるなと思い、そのあたりの物語としての展開や劇映画としての面白さというのは今回は中々考えられなかったので、次回以降の課題だなと思いつつも、編集で達成できる部分もあるような感じがしており、そのあたりはちょっと挑戦してやっていきたいなと思っている。
今回の短編の撮影は3月の上旬に行った。
ちょうど今編集していて、撮ったあとに気づくことが沢山あって、なるほどなるほどという感じである。
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寒かったけど楽しい。参加してくださったみなさんに感謝.
2月に見たもの・読んだもの
・『光る君へ』
・『不適切にもほどがある』
・『エル・スール』
・『ゴーストトロピック』
・『HERE』
・『ノスタルジア』
・『ストップ・メイキング・センス』
・『ハイキュー』
・『8 1/2』
・『ワンダフルライフ』
・『雨がしないこと』
・『君のためのバラ』
・『Cornelius / くるり ~ あらきゆうこ生誕50年ライブ ~』
・『ウィステリアと三人の女たち』
・『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
『エル・スール』『ノスタルジア』『ウィステリアと三人の女たち』あたりが、個人的には良かったな〜という感じで、物語の中で記憶だったり、語りが入り混じって重なっていくものが好きなのかしら、という感じがある。まぁでも、回想なりなんなりは割とよくあるので、記憶・回顧というよりも、語りそれ自体がある程度、物語の前面にでているのようなものなのかもしれない。
何かと何かが必然性のない連続によって、それでも物語の筋としてつながっていくとき、そこには何かしら、その連続を可能にするモチーフなりがあって、その切り替わりや繋がりを媒介するものに注意を向けてみて、つくるようにしていきたいと感じている。
今月印象に残った言葉
音楽を聴いていて、いいな、とか、気持ちいいな、とか、そういうこれまでは良さを求めるというか、音楽の側に価値を求める態度だったんだけど、最近は、単に「うん、そうだよな」と思ってることが増えた。おれなりの音楽との付き合い方が身についてきたというか、聴こえ方が変わってきた気がする。なんて、こう書くといかにも「俺は音楽の《正解》をちゃんと自分の中で定義できていますよ」然とした、お高く止まった音楽批評家みたいで気持ち悪いなあと思うんだが、勘違いしてほしくないのは、「そうだよな」と思うといっても、別に、おれは音楽の「正解」がわかった人間ぶってそんなことをいってるわけじゃないし、「正解」とか「間違い」とかハナから問題じゃないし、かといって歌詞に共感しているわけでもない、そもそもおれはあんまり歌詞なんかをちゃんと聴けるような真面目で丁寧な人間でないし、だいたいプリンスなら英語なんて全然聞き取れねえんだが、でも聴いてると自然に「そう、ああ、そうだよな、そうなんだよな」と思ってんですね。
質を見定める、とかじゃなくて、ただその音楽と、なんかの《状態》、みたいなものをを共有してる感覚っていうんだろうか。音楽の態度だけじゃなくて、聴くことに向かっていくおれ自身の状態もけっこう問題になってるというか、とにかく、音楽の側だけの、質だけの、問題じゃないんだな。声とか、リズムとか、進行とか、とにかく音楽の全部が何かを語ろうとしていて、そしてそれがちょうど今このおれも心のどっかで語ってみたいと思っていた《いのち》だった、みたいなときに、批評とか意味付けとか値踏みとかそういう市場とか世間とか向けのめんどくさいことは一才抜きにして、ただ、「そうなんだよなあー」と、バカみたいに思ってることが増えた。
また来月。
短編を編集して感じたことの話や次にこういうものを撮りたいなのお話など。
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先月の日記
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