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もしもあの時に戻れたら

24歳に戻ったらどんな風に生きてみたい?

そんなことを友人と話した。
僕は当時ミュージシャンをしていたし、彼はとある劇場の支配人をしていた。

頭の中で考えを巡らせている中、彼がゆっくりとした口調で話し始めるのを僕は聞いていた。

過去があって今がある。今があって未来がある。
たまたま立っている現在のこの場所に感謝している、と。周りに感謝しかない、と。

「また同じ人生を歩むかなあ----」

傷つけてしまった人がいたのなら、傷つけずに生きてみたい。そんな言葉を聞いた時、ハッとした。


自分という存在を認識すればするほど、自分が歩んできた道が恥ずかしく思えるときがある。だけど、その歪で救いようのない人生という器を愛することができるのも自分だけだ。

傷ついて、傷つけて。
ぶつかって、何度も壊れて。
それでもまだこの器は僕を生かし続けている。

誰かの心と交わることを極端に避けていた20代をもしやり直せるのなら、同じ道を歩みながら当時は見えなかった景色を見てみたい。受け取ることのできなかった愛情を感じてみたい。そう素直に思った。

後悔はしてもしょうがない。
後悔をしないように生きろ、と言うけれど。

人生という器についた傷こそが後悔なんじゃないかなと僕は思う。傷だらけのその器の価値は誰が決めるんだろう。


柔らかい僕らはときに傷つきやすく、摩擦されていく中で見えなくなった傷もきっとある。

見える傷と見えない傷。カタチも違う唯一無二の器を心から愛してくれる人たちに気付けたことこそが、後悔だらけの道を歩み続けた誇りなのかもしれない。

明日のために器を磨こう。

シバタタツヤ

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