ライカはじめました ①
実は2度目のライカ。
2019年の10月。手持ちの機材のほとんどを売り払い手にしたフィルムライカのM6。
当時、僕は京都で写真家として生きていた。
外からは順風満帆に見える活動でも、心はひどく疲弊し始めていた時期だった。
評価されない焦りやもどかしさの原因を自分の外に求めてしまい、自分を認めてあげることができなかった。
唯一自分の心を突き動かしてくれたのは、ハービー山口先生や、ジョセフ・クーデルカ 、ユージン・スミスといった方々のドキュメンタリーフォトだった。
自分との決定的な違いはなんなのだろう。
彼らの写真に近づくためには何が必要なのだろう。
僕が決断したのは、すべて捨てることだった。
デジタルカメラで撮っている自分が急に嫌になってしまったのだ。
僕は機材をほとんど売り払った。
手に入れたのはフィルムカメラ。それがライカだった。
僕の出した答えだ。
当時の僕は魔法のカメラを手に入れたような気分で町を歩いた。寝る時も一緒だった。
いままでとの一番の違いはどんな写真が撮れたのかすぐに確認できないこと。それが余計に僕をワクワクさせた。もうこれで大丈夫。そう思って疑わなかった。きっとあの写真集の1ページを飾るような写真がネガに浮かび上がるはずだ、と。
初めての現像。
撮れていなかった。一枚も。
フィルム装填時にミスがあったのだ。はじめての感覚だった。こんなことがあるのか。
いまでもその感覚は忘れない。もう帰ってこない瞬間を残せなかったことを、気軽に受け止められるほど僕は強くなかった。
続く2本目、3本目。
ここに救いがあるはずだ。
あの憧れの写真たちが頭を過ぎる。
しかし、目の前のプリントされた写真にはそんな面影など一切なく、どんなにめくってもショックは増す一方だった。
いままでの自分をすべて否定されたかのような写真たち。
僕はこんなに下手だったのか。認めれば自分が壊れてしまいそうで、怖かった。
まだ慣れていないだけだと自分に言い聞かせて、また次のフィルムを装填する。もう前に進むしかなかった。
(つづく)
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