写真家になる日
最近はこのnoteに書く文章量がどんどん増えてきてしまった。最初は600字程度だったものが最近は1000字を越えることがざらになってきてしまって、これはなんとかしなくてはと思うものの、なかなか書きごたえのある出来事が多く、そう易易と上手くまとめることができないのだ。これがまた”僕の人生らしくていいか”なんてもっともらしい言い訳のもと今日もキーボードに向かっている。
笠置にきて。決して多くはないけれど、僕にとってはたくさんの大切なひとたちと関わりを持つことができている。その中でも、いつも僕に勇気を与えてくれるのは"笠置のこども達"の存在だ。3月を迎え笠置小学校の卒業式、保育所の卒所式と立て続けに参加させていただくことができた。こういう大切な瞬間に立ち会うことができることで、少しずつ笠置町の"ひと"になれるような感覚になる。
まるで少し先の未来を前のめりに生きるような純粋さ。何も知らないが故に、傷つく事もある。何も知らないが故に傷つけることもある。それでも、明るい未来が手招きしてくれる方向へ何の疑いもなしに進むことができる子供たちの無邪気さはいつまでも失いたくない憧れだ。僕もいつだってワクワクする方向へ常に進んでいきたい。
そんな子供たちの門出。
卒業は4人。卒所は5人という極めて少ない人数だ。都会に住んでいたら当たり前になってしまうような不特定多数に埋もれてしまうような感覚がここにはない。人数が少ないからこそひとりひとりに光が当たり、ひとりひとりが輝く。そんな素敵な環境が自然に存在している。人間が人間らしくいるためのやさしさや厳しさをダイレクトに感じられるこの町を僕はやっぱり好きだ、と改めて思わされてしまう。
抱える問題や、小さな町特有の閉鎖感、たしかにいいことばかりではない。それでも、この町に住むひとりの"ひと"として、僕はこの町に誇りを持っている。僕にとって笠置は愛すべき場所だ。
僕たちは子供たちになにを残すことができるんだろう。
大人の欲にまみれた社会の搾りかすのような世界などではなく、ひとがひとにやさしくなれる、自分の人生や住む場所に誇りを持って心から愛すことのできる世界を僕は残していきたい。
僕が思う"ひとがひとにやさしい世界"は幻想などではなく、たしかに目の前に存在している。誰しもの目の前にあるはずだ。それに気付かず、日々に磨耗されるような生き方をしているひとたちに気付いて欲しい。
だから、そんなやさしい瞬間を、光と共に丁寧に切り取って、未来へ残すこと。それが僕の生きる使命。
たったひとりでも、
「ひとっていいな」
そんな風に思ってもらえたら。
僕が写真家として生きる意味を与えてくれたこの町に、少しずつ恩返ししていきたい。
ひとは何度だって生まれ変われるんだ。
シバタタツヤ
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