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次は誰のための10年か

人はどれだけ他者のために優しくなれるかが成長の鍵かもしれない。

子供が生まれたとき、人生の主役が自分から子供へと変わる感覚があった。
自分のために生きていた時間が、子供のために生きていく時間へ移り変わる。
僕らのような作る仕事の人たちは、それをきっかけにアウトプットの質が変わると先輩に教えてもらったことがある。体感して思うけど、作るものが圧倒的に優しくなった。

昨年思い立って社員が3人も増えた。たった1年でのことだ。
この時も子供ができた時と同じような感覚があった。それまでは自分のための仕事の機会だった。このプロジェクトはあの子の成長に欠かせないからにメンバーに入れよう。とか、新卒は出来るだけ早くアウトプットが異なる幅広いジャンルを体験させようとか。仕事が自分のためじゃなくて、仲間のためを考える機会がグッと増えた。

このデザイナーだったら、どんな投げかけで前のめりになってくれるか?
このカメラマンだと、どういう被写体に夢中になるか。
このライターにはどんな設定で言葉を書いてもらうか。

人とっては戦いやすいフィールドを用意することであったり、
人によっては新しい挑戦になっていたり、
またある人にとっては新しい可能性に気付かせることだったり。
他が為の思考は、もっとも自分の為に直結しているのかもしれないと思った。
大きな見返りはなくても、他者を想う行為や選択はもっとも正しく自分にも作用する。

会社立ち上げの当初は、たった一人で戦っていた。
すべてが自分のための仕事であり、得たものも多いがそれはお金とか時間であって、新しい選択がそこにはなかった。新しい選択がないということは、新しい気づきの母数も減る。結果、学びも減って成長は鈍化する。

それに気付いてから挑戦する日々が続いているが、
自分にとって一人では得られなかった多くの学びがあった。
一人でたんたんと武器を研ぎ澄ます時間も大事だけれど、気付けば36歳で、気付けば自分以外の人のことを考えた選択が増えてきた。

丸くなったのかもしれない。でも、そういう関わりになってから思考や選択や決断がより研ぎ澄まされてきた感覚がある。気のせいかもしれないけど。
面白いなと思う。自分のために努力することより、誰かのために努力することの方がもっとも自分への還元率が高いって話だ。こういう言い方すると 嫌に聞こえるけど、今まで生きてきた人生で学んだことはそれだなと思っている。

40歳の自分は何を 想っているのだろう。
最近はふと次の10年を考えだすようになってきている。
自分のため、子供のため、社員のため。
次は誰のための10年か。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。