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自分を救うことができるのは自分しかいない

一日中移動しっぱなし打ち合わせしっぱなしであっという間に真夜中だ。同じプロジェクトチームで京都と大阪を移動し続ける。

あのプロジェクトも、このプロジェクトも全部巻き起こってることの難易度は違う。少し頭が麻痺ってる方だけど難しいほどヒリヒリする。生きてる感じがする。

答えなんてない。答えにしていく工程だ。

いつもそう思って向き合っている。じゃないとコンセプトやアイデアやクリエイティブなんて、ぶっちゃけ何も確証がない。理詰めでエビデンスを見つけ成立さするほど既視感が勝り熱が覚めていく。

昨日までなかったものを作ろうとしているのだから、当たり前だ。時折冷静にチキンレースかよと思うこともある。しかしスタートのフラッグが振り上げられる前にレースに出ないって選択は自分にはない。勝負に出れば勝ったも負けたも結果が出るからだ。

そしてそのどちらにも価値がある。勝って学ぶこと、負けて学ぶこと、両方ある。

ただ何も選ばなかった先には、当たり前だけど何もない。いや何も選べなかった焦りだけが残る。それを肯定するために自分に嘘を重ねる。勝負から逃げる嘘を重ねるのが上手になる。結果自分には分厚い嘘と焦りだけが残る。

20代後半でくすぶっていたときに悩みやけ酒し、帰路に着く誰もない夜道で不安と焦りで急に吐いたことがある。飲みすぎたせいもあるが、やたら吐いた。今だから言えるけど自分の可能性なんてものをまだ信じていたときだ。そこには何もしてない自分と過去の空虚な栄光とだけの空っぽな男がいた。そいつが道端で吐いている、そんな自分を少し後ろで眺めた気分になった。

自分自身を見事に情けない不安の塊だなと思った。可能性の器はどす黒い不安で満杯でそれを全部吐き切ってる感じ。空っぽになった胃袋を感じて、何かが急に変わった感じがした。次は可能性をいれていこう。それには行動しかない。勝っても負けてもやってみるしかない。結論がシンプルすぎて頭が悪そうだけど、その気づきが僕を救ったように思う。

そっから先、もちろん失敗もたくさんあったけど逃げることだけはしなくなった。そしたらたくさんの可能性が集まってきた。恐れもどこかに消しとんでいった。結局自分を追い込んでいたのは自分だし、自分を救うことができるのは自分しかいないことを学んだ。

ヒーローなんて存在しなくて、お前がヒーローになればいい。今はそんな気持ちで強く在れている。急に10年前のことなんかを思い出した、そんな日記。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。