見出し画像

美しく魅せようとすることが根本的に違う可能性がある

今朝からのワクワク滋賀会議でなるほどなと学ぶことがあった。
「家を出ると周りに美しい自然が溢れているから、それで満足なんですよ」
それなりの規模の街に住んでいると見落としてしまうのが「人工による美しさ」に囲まれていると言うこと。いつしか自分もそれが当たり前と思っていた。富良野で生まれたと言うのに。

美しいものがすでにあるのであれば、人工的にデザインされた(美を設計された)ものを求めることは減るかもしれない。焚き火を眺めることや、川をぼんやり見つめることも、海のしじまに溶け込むことも、満点の星空を見上げることも、足を止めてしまうほどの美しい夕焼けを目の前にそこに人工的な美しさが叶う可能性は低い。

僕が持つ美意識というものも、都会ナイズドされるとそれなりに発露の必要性や需要が生まれる。それに満たされ、それで食っていると、僕じゃないその他多くの環境を見誤る。世界の大半は僕ではない世界でできている。そのことを忘れては行けないと感じた。

そんなことを学びながら、今まさに日本の大都会で仕掛けているクリエイティブは、うつろう・時代に囚われないものを提案しようとしている。理解されるかはわからない。けれど、ぐわっと鳥肌が立つ挑戦がそこに垣間見得た気がした。僕はそれにベットしたい。これもたぶん、普通では理解しにくい選択だろうと思う。なぜなら世界はわかりやすいものを求めるから。

ここから先は

660字
このマガジンを購読すると時々心が楽になったり、スーパーどうでもいい日記もあるんですが回り回って松倉のビールに変わったりお会いできたらビールを奢ってお返しします。

🍺ビールに代わる日記🍺

¥500 / 月 初月無料

プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:…

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。