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振り返る余裕なんてなかった

春頃、中国でコロナが発生。スマホでスワイプしながら、どこか遠くのことのように感じていた。瞬く間に世界中に広がり、自分たちの会社も大丈夫か不安な日々を過ごした。

まもなくして4月にはさまざまな繋がりある企業から相談が相次ぐ。
このシナリオは想像していなかった。もし自社のビジネスに大きな打撃があったとしても何ヶ月ほど社員を食わせることができるか計算しはじめていた。その真逆の状態に陥る。4月から6月末の期末まで新たな相談や悩みは増え続けた。

6月には開業している予定だったホテルも開業ずれ込みが決まった。
しっかり休もうと思っていた6月が地獄絵図と化し、スケジュールは真っ赤に染まった。

時計の針は泊まりはせず自動的に4期目がスタートし、今までにない量の仕事に終われる。その最中で僕のキャリア史上もっとも忙しい1年が始まったことを自覚する。40歳までには次のステージに立っているようにと考えていたことが3年巻きで物語は進み37歳にして、かなりしんどい登頂が開始された。

多くの企業や地方自治体が2020年4月からの計画書き換えを余儀なくされ、答えのわからないコロナ禍のロードマップを描き直す日々が続く。それは今も続いている。いつしかコロナに対する答えを持っているかのように接しされ始め怒る時もあった。僕だってわからない。あなたが考えることをやめたら終わりじゃないか。答えを出すことはできないけれど、一緒に考えることはできる。そんな言葉を何回も吐いた。

残業はしないルールも崩壊しそうなところを頑なに曲げず、コロナの谷間で接触は避けながら車で社員旅行にも無理くり出かけた。そうでもしないと頑張った社員たちを報うことができない。かなり強行で社員旅行を決行した。
仕事のことを横において何もしなかったのは、この社員旅行の二日間だけだったかもしれない。

解散しスマホを見ると恐ろしい数の通知とメッセージ。
日々、これだけのやりとりを自分はしているのかと思うとゾッとした。
どこか人里離れた山小屋にでもこもって、そこに来た人とだけ仕事したいなとすら思った。

このような未曾有な状況に「困ったらぬえを頼れ」という気づいたら出来上がっていたブランドが効きすぎた。それ以上に僕たちは当たり前に暮らし、その暮らしがあるからこそ血が通ったクリエイティブを実現できていた。それが今危ぶまれている。

これこそ経営者としての判断が問われる時だ。
仕事はひっきりなしに来る。それを受けていたら昨年を超えるスコアで着地するだろう。売上1億を目指していたがそれも見えている。しかし、この忙しさで社員たちは本当に幸せだろうか。それって僕自身が本当にやりたいことだろうか。本当にかっこいい未来はこれまでのペースで真摯に課題に向き合い答えていくことで1億というゴールをきれた方が絶対いいじゃないか。

今はありがたいお仕事のご相談もご紹介もお礼とともに春・夏までは空きがないことを伝えている。ビジネスとしては大きく転がるチャンスをポイと捨ててみた。これがどういう結末になるのかはわからない。しかし、今日時点ただでさえ余裕がない状態で、これを継続していくことは緩やかな死を意味するなと感じている。

柔らかく・しなやかに・真面目でときどき怠惰。
今日は仕事頑張ったから飲みにでもいこう。そのくらいの空気に戻さなければいけない。危ないところだった。頼られるのは嬉しい。頼られてこその僕たちの会社ではあるが、その全てに応えようとした自分のミスだと反省している。

今目の前にある仕事や、コロナという状況にしっかり向き合っていく。
ともに考え、ともに行動できるパートナーたちとこの時代を生き抜いていくことだけを考える。新しい出会いは然るべきときに訪れるはずだ。今までもそうだった。お金の悪魔の誘惑や自尊心を満たす誘惑に危うく溺れかけた自分のほっぺたを打って、しっかりと明日を見据えていこう。振り返る余裕なんて今年はない。前だけをみて進む。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。