見出し画像

人生の基準点を定める方法

サウナブームになってから逆にサウナに入れる機会を逸してしまっている。「整うわ〜」という友人の発言を聞くたびに羨ましさが増していく。そして、今もまだサウナへはいけていない。

このサウナで仕上がった状態を「整う」と表現した人は誰だろうか。天才だなと思っている。一生懸命働いて、しっかり暮らしを大事にしていても、良いことも悪い子も色々巻き起こる。それが人生でもある。生きているとさまざまな要素が介入して「乱れ」てくるのだろう。

心身ともに健やかに戻す感覚が「整う」という言葉に至ったのだろう。的確だ。今、私の心の中にある「サウナいきたい」は「整えたい」とイコールになっている。同時に「乱れている」ことを自覚していることでもある。ふと、整える目的の基準値はなんなのだろうと考えた。

自分自身の「基準値」は実は明確じゃない可能性がある。
個人的な話だが最近は長風呂ブームが個人的にきていてプチサウナ状態を味わっているが(厳密には違うが)今まで以上に熟睡できている…と思っていた。この良い睡眠とれてる感を崩したのが睡眠センサーだ。

過去にも時計型のもので睡眠スコアを取得していたがいっこうに改善しない我がスコアを見て2週間ほどでストレスになり放置状態である。この体験を忘れて1クリックで購入したのが布団に敷くだけで勝手にスコアを出してくれるというテクノロジーの結晶だ。こいつがまた私の心を見出そうとしている。

かなりぐっすり寝た。体感的にも満足度が高い。だが結果は「70点」。学校のテスト的には褒めていいのかわからない点数だ。そして、今朝は「50点」…しっかり寝た感触もある。にもかかわらず数字に踊らされる私の心。
私の睡眠は整っていないらしい。何をしても上がらないスコアは無理ゲーそのものである。

人生も睡眠と同じくらいコントロールができないものだと思っている。
無意識に私は「人生を整えたい」と考えているのだと思う。それには何より基準値がなければ何をどうチューニングすればいいのかわからないなと思うのだ。世の中の心身ともにくたびれている人たちはこの基準値がわからなくなっている可能性があるかもしれない。

おそらく年末まで慌ただしくサウナに入る余裕もないままお休みに突入するのだろう。年末年始のお休みには整えていくための「人生の基準値」を明確にしていきたいと考えている。この基準値の洗い出しは結構シンプルなんじゃないかと考えている。「やりたいこと/やりたくないこと」を明確にすることで仕事のフォーカスエリアを定める。お金を計算し「死なずに組織を維持できる金額を洗い出す」ことで向き合える仕事の天井を明確にする。

この二つが明確になることで2021年はだいぶ生きやすく・整える目標が明確な1年を過ごせるのではないかと思う。また結果はnoteにて報告する。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。