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準備は裏切らない

元教え子の卒業公演

成人式に娘を送り出した様な気持ちだ。嬉しくもありどこか淋しいそんな幸せに満ちてる。

私はダンスの先生をしている。十数年前のある日、4歳の幼き女の子がレッスンにきてくれた。写真は彼女に習い始めあたりにもらった手紙。その後毎回ステージに出るたびに感想を手紙にして渡してくれた。他の子の手紙も含めいまだに大事にとっている。

ちっちゃなちっちゃな女の子とそのママ、更には弟やパパ、ママの姉妹まで、、こんなに長い付き合いになるとは当時想像もしてなかった。

当時私は23歳位かな?若くて未熟な私を信頼して下さり長く通ってくださった生徒さん方には本当に感謝している。その後私はプロダンサーとて活動が本格化、後に私は生徒と離れて大阪から東京へと拠点を移した。

人を笑顔にするダンスをするんやで

おそらく彼女をはじめ当時の生徒には何度もこの話をしていた。ダンス以前にダンスは表情が命だと思っている。そんな私も幼少期からそう教えてもらってきた。

その教えを本当に貫いてくれたのは、彼女や彼女と共に頑張っていた子達。いまだに当時の笑顔満開での全力ダンスを見ては、何度も笑顔にさせてもらっている。東京に来てから思う様に進まなかったときもそのみんなの笑顔に何度も救われた。

続けるという難しさ

ダンスの楽しさを伝えることがダンスの先生のやりがい。私はとにかくダンスの楽しさ、"人を楽しませることの楽しさ"を伝えてきたつもり。それが、まさかダンスで有名な高校のダンス部に入り、部長まで務める事になったとは正直言って本当に想像してなかった。

私自身高校はダンス部の部長をしていた。誰かに任命されたわけではない、当時私達の代にはなかったダンス部を仲間と発起した。しかしブレイクダンス部はあったので最初はブレイクダンスをしていた。しかし私はやっぱりJAZZやHIPHOPがやりたかった。作るしかないとダンス経験者とダンス部発足。今では当たり前にダンス部といえば大人数いて、大会に必ず出て、毎日ハードな練習をして!という環境ではなかった。だからこそ自力でいろんなことにチャレンジしてきた。

環境

踊れる環境があるのは必ず誰かが発起してくれたからである。彼女たちもダンス部として毎日踊れる環境があるのも過去の先輩や先生のダンス愛の上での行動が形となったのでしょう。
しかし、この数年はイレギュラー過ぎた。きっと大変な想いを沢山したと思うし、あんなハードなダンスをマスクで練習してたのかな、、そんないろんな想像をすると、その経験をした彼女たちは本当に強くなるんだろうなぁと思った。何事も、辛い経験はのちに必ず役に立つ。人の痛みがわかる人は本当に強くなる。

殻を破る

ダンスをやっている中で、自分の殻を破れるかどうかがかなりキモになってくる。自分らしくとはいえども、素の自分を見せるだけでは突き抜けた表現はできない。これは私も本当に経験してきた。自分の中の知らない自分を呼び押してこそ真の表現が出来ると感じている。恥ずかしがって内にむけて踊っていては人を感動させれない。

元教え子のダンス、それはそれは彼女らしくもあり、ときに私の知らない彼女がいた。間違いなく高校生活で彼女は新たな自分と出逢えたのだと確信した。

客席は一番真ん中の最高な席を用意してくれた。東京からの行き道、楽しみでありなんだか寂しくもあった。学生生活には限りがある。楽しい時間も辛い時間も学生には限りがある。大人になると限りがなくなる。だからこそ毎日を限りあるかの様に全力で進む彼女達の姿が私には刺激的で胸を熱くさせてもらった。

素晴らしい公演だった。小さい頃に、私はダンスで人を笑顔にしたいです!そう言っていた夢がしっかり達成できていたり

この先も、この本気で向き合った日々がきっと彼女の人生を助けてくれる。私もいつも何かあれば長年ダンスと全力で向き合った地元のダンスチームでの日々を思い出す。

感動と刺激をくれた元教え子と支え続けた家族に拍手。ダンスをずっと好きでいてくれてありがとう。

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