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【まちづくり日記】命と家制度を学んだら気が引き締まった

ちょっと重めのタイトルに見えるかもしれませんがただの授業の話です。

最近、文化人類学で生命観、社会学で家制度について学んでいます。
どちらも違う学問なのにリンクする部分がとても多いです。

まず、各々について説明します。

はじめに命について。

現代では命はとても大切なものであり、その価値はみな平等だ!と言われています。
しかし、一昔前は日本でも2.3人の子供を育てるために、それ以上生まれた子供は育てることを諦めて親が自らの手で子の命を奪っていました。これは「間引き」と呼ばれ、育ちのいい苗を優先するために他の芽を摘むのと同じです。

残酷な話ですが当時は当たり前のように行われていました。

次に家制度について。

家というと家族が一緒に住む場所というイメージですが。かつて「家」は家産や家業を運営する集団でした。
そのため、家族というのは従業員のようなイメージで、子供も労働力確保のために育てられていました。

家産、家業と言ったら土地、田んぼです。
機械もない時代はもちろん米作りは全てが手作業であり、若い男の力を確保するために養子を取ったり出したり、見合い結婚をしたりすることが当たり前でした。

間引き、養子、見合い結婚は今ではよくないイメージが持たれています。
でも、当時は当たり前に行われていることでした。

それは、家を存続させるためです。地域も入るのかな。

たくさんの子供を育てることで飢餓に陥れば家が危ない。
労働力が足りずに田んぼを失うとなれば子孫の生活も苦しくなる。

家を守るため、子孫のため、先祖のために全て必要なことでした。

でも、今はサラリーマンが普通の時代となり、以前の家制度は崩壊しています。家を守らなくても生きていける時代です。

じゃあ、今の命、家はどうなったかというと「愛」の時代になりました。
命は大切、みんな平等、赤ちゃんは可愛い、愛に溢れる家族、、、
愛は祖先、子孫を考えなくても核家族で十分に育めます。

でも、「愛」に変化したと言っても今が「愛」に溢れた時代とも思えません。

以前までは家が人生に密接に結びついていました。
今も結びつきがあったら「何がやりたいのかわからない」「自分に価値がない」「居場所がない」なんて思っている暇なかったでしょうね。

今は何と結びつくのか自分で決められる時代とも言えます。
それがなかなかみつからないようです。

私の場合は地元に結びついています。
でも、田んぼやれ!みたいにやるべきことが決まっているわけではなく、何をやるかも自分で決めなければなりません。

そして、結びつきがないからと言って休んでいていいわけでもありません。

結構個人戦に思えます。
でも、今は家関係なく共同体をつくることはできます。
新しい家制度をつくっている感じです。

そういう時代なんです。
何においてもこの変化は結構大事な視点だと思います。

やることはないは甘え。
全員やるべきことはある。

そんなことを言われている気がしました。

読んでいただき、ありがとうございました。











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