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大事なのは、何がしたくないかではなく、何がしたいか

日本でも経済格差は広がり続け、それが教育格差につながるという負の連鎖が始まっている。そうした現状を憂える声は多く、教師を含めた学校関係者も保護者も、そして子どもたちもこのままでいいのかと思っている。テクノロジーが進化し、産業構造が大きく変わるなかで、将来、人工知能に仕事を取られてしまうかもしれないという漠然とした不安がある。その声に耳を傾けず、学校が時代錯誤の教育しか施せないのであれば、学校などいらないのではないか、という人もいる。 「学校」の存在意義は何なのだろうか。

上記は2020年12月に初版が発行された、藤原さと著の『「探究」する学びをつくる〜社会とつながるプロジェクト型学習〜』からの1節です。

この本の「はじめに」で紹介されている『Most Likely to Succeed(これからの学校の役割)』という教育ドキュメンタリー映画のモデル校になったのが、アメリカ西海岸サンディエゴのハイ・テック・ハイという新しいかたちの公立校。

この学校が選ばれた理由は、

・非常にクオリティの高いプロジェクトを教師と生徒のチームで作り上げている

・その過程で、「他人への思いやり」「粘り強さ」「人を巻き込む力」「明るさ」などの人間性や一般的なテストでは測定しにくい非認知能力を十分に伸ばしている

・生徒の約半数が低所得層の子であっても、96%の生徒がカレッジ以上の大学へ進学し、4年制大学への進学はカリフォルニア州平均の26%に対し54%とほぼ2倍の入学者を出している

「公教育」と「プロジェクト型学習」と「大学進学」という3者を同時に成り立たせる。
これが、学校教育改革のポイントではないかと思う。

今の日本人の親世代では大学について、

「大学進学は志望する大学で学びたいことがあれば行くことに意味がある」

「まだ何がやりたいか明確ではない場合、難関大学であれば行くことで、そこで何かに出会う、または就職に有利」

と考えるのではないだろうか。

アメリカでは日本以上に学歴偏重主義が残るようで、中流階級未満から抜け出すために、大学進学に希望を見出すと言われている。

日本やアメリカにおいて大学進学の理由は様々だろうが、大学進学が目的になって「興味がないことを学ばなくてはいけない」というのが最も不毛ではないか。

やらされている感のある学習→伸びない成績→ストレス解消のゲーム・SNS
という負の連鎖があるように感じる。

『子どもが育つ魔法の言葉』には「大事なのは 何がしたくないか ではなく 何がしたいか」

一読するだけではあたりまえのように感じるかもしれないが、ここが大事なことではないか。

自分の目標ややりたいことがあれば、その途中で困難にも出くわすだろう。その時「もうしたくない」と思うこともあるかもしれない。しかし、それは自分の目標があることで、やっぱりやるしかないと思い直せる「もうしたくない」ではないか。

今まで続いてきた学校教育は「したくない」ことを大人が与えて、「何がしたい」かの選択肢を奪っていないか。

「食欲がない状態で無理に食べると健康を損なうように、願望のない学習では覚えられず、学んだことも定着しない。」(ダ・ヴィンチ・ノート「アシュバーナム手稿」)

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