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5/16-5/23_社会人7週目の振り返り

【まとめ】

自分は普通だっていうことを、素直に受け入れ始められた週だったような気がします。

今週は、たくさんの方の優しさに触れました。その優しさが、自分の余計なプライドや空元気を溶かしてくれたような感覚です。

ここ最近、3食毎日味噌汁と納豆を食べていました。好きなのはもちろんですが、発酵した大豆は体に良いだろうと思ってました。

ただ、毎日大豆を食べていると、ついに体に変化が起きたのです。

ご飯を食べるごとに舌がヒリヒリしてきます。これは、毎日食べている大豆のせいかな?と思って人生の先輩方に相談することに。

添加物を少なめにした方が良い、調味料だけはシンプルにした方が良いetc...

 心のこもった愛あるアドバイスをかけてくださいました。アドバイスの言葉だけではなくて、言葉の裏側にあるキッチンに立っていた時間、自身がアレルギーだった経験まで一緒に受け取った気がして、なんだか壮大なものを受け取った気がしました。

本当に、言葉をくださる先輩はありがたいです。初めて、年長者を尊敬するという言葉の意味が、身体で感じられたような気がします。

この時、インドで習ったヨガの話を思い出しました。

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僕がインドで習ったヨガは、シヴァナンダヨガと呼ばれ、スワミ・シヴァナンダという方が体系化した流派です。

彼の一番弟子に、スワミ・ヴィシュヌデヴァナンダという方がいるのですが、彼は若い頃、とってもプライドが高い問題児だったようです。他人の愛を受け入れず、自我を振りまく人だったようです。

そんな彼に、偶然スワミ・シヴァナンダと出会う機会がありました。ヴィシュヌデヴァナンダは、50歳くらい年上のシヴァナンダに対しても態度は横柄です。

しかし、シヴァナンダはそんなヴィシュヌデヴァナンダに対して、心から頭を下げて愛の限りを示したのです。

そんな愛を受け入れて、ヴィシュヌデヴァナンダは自分の余計なプライドが恥ずかしくなると同時に、心から人を愛せるようになったのです。今、シヴァナンダヨガと呼ばれるヨガが日本に広まっているのも、多くは彼の貢献によるものです。

思うに、人間は自分を守るために、誰もがプライドや見栄を持っているのかもしれません。もしかしたら、自分の可能性を信じたい人ほどそれは強いのかもしれない。

その自我で、自分自身を縛っているということにも気づかずに。いや、気づいていても、自分一人では怖くて触れることはできないだけなのかもしれません。

そこに、手を差し伸べてくれる人生の先輩は、本当にありがたいと同時に、少しばかりの畏敬の念も感じます。

今週は、そんなことをほんの少し、身体で感じた週でした。

一人で頑張っているように思っていても、自分を閉じて心身が健康でなければ何も意味がありません。

もっともっと、心と頭をしなやかに。内から湧き出る愛と感謝で自分の周りを満たしたいと思います。

【つぶやき】

歌って、自分の弱さやエゴや安いプライドを消してくれる、そういうものなのかも。

自分のやりたいことリスト、全部自己完結していた。そりゃ切実じゃない。

「ご近所さんや仲間同士」というコミュニティにおいては、マネーシステムによる「市場原理」の影響は受けない。

良い食べ物も、偏り過ぎたら悪になる。

キツイのはみんな一緒。悩んでいるのもみんな一緒。でも、みんな見せてないだけ。

自分に素直になれる鍵は、「既にもっている」って気づくことなのかもしれない。そうすれば、変なエゴも欲もなくなって、純粋な愛を巡らせられるようになるのかも。

「面倒臭いって思いがち」、これ大きなお世話ですけれど気をつけた方がいいです。やってもみないことを、情報や聞きかじった話や印象で、決めつけない方がいいです。やってみてから、面倒だと判断すればいいです。

より多くの成果を生み出そうとして、長い「やることリスト」をつくる人が多いが、偉業を成し遂げたいなら「やらないことリスト」をつくることの方が実は大切なのだ。って感じ笑

判断基準が定まると「やらないことリスト」は必然と決まる。ひとかどの天才じゃない限り最初から「やらないことリスト」を作るのは難しい。

自分を受け入れられて、初めて仲間や友達や相手を素直に受け入れられる。心で会話できる。

大人はすごい。毎日毎日大変な思いをして生活して、子供を育てて家庭を守ってるんだ。自分が大人になりかけて、初めてすごさを実感する。

社会のみんなが働きあって、大変な思いをし合いながら支え合っている。例外なく、世の中みんながすごい。

自分が内側から綺麗になると、与えられるものも綺麗になる。信じた方が得な気がする。

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